動学モデルで分析をおこなう際に、定常状態を仮定するだとか、定常状態を分析するというようなことがよくおこなわれると思います。特に、マクロ経済学の分析で定常状態を仮定することは極く普通のことだと思います。応用一般均衡(computable general equilibrium、CGE)分析でも動学モデルを利用することがあり、その際にやはり定常状態を仮定することがあるのですが、マクロ経済学の分析とは異なりCGE分析で定常状態を仮定することは非常にハードルが高いと感じます。もっとはっきり言うと、定常状態を仮定することはすごく非現実的だと感じます。なぜ、そう感じるのかを説明します。
まず、「定常状態(steady state)」という用語の定義をはっきりさせておきます。経済学における「定常状態」という用語にいろいろな定義がある(いろいろな意味で利用される)というようなことは聞いたことはないので、元々意味は一つしかないのかもしれませんが、念の為、以下では「定常状態」を Barro and Sala-i-Martin (2004) が定義する意味で利用するとします。
- Barro, Robert J. and Sala-i-Martin, Xavier, (2004), "Economic Growth", 2nd Edition, Cambridge, Massachusetts.
P33, Barro and Sala-i-Martin (2004)
We define a steady state as a situation in which the various quantities grow at constant (perhaps zero) rates.つまり、Barro and Sala-i-Martin (2004)に従えば、「定常状態とは様々な変数が一定率(おそらくゼロ%の率)で成長していく状況のこと」です。
さらに、この定義を元に、Solow-Swan modelでは
In the Solow-Swan model, the steady state corresponds to dk/dt =0 in equation (1.13),...というように一人当り資本ストック (k) が不変である状態(つまり、一人当り変数が0%で成長する状態)が「定常状態」に相当すると言っています。
また、Barro and Sala-i-Martin (2004) では、P.53で技術進歩を考慮したモデルをとりあげ、次のように指摘しています。
Suppose that we consider only constant rates of technological progress. Then, in the neoclassical growth model with a constant rate of population growth, only labor-augmenting technological change turns out to be consistent with the existence of a steady state, that is, with constant growth rates of the various quantities in the long run.
【武田訳】技術進歩率が一定のモデルを考える。そのとき、人口成長率が一定の新古典派経済成長モデルで定常状態、すなわち、様々な数量変数が長期的に一定率で変化していく状態と整合的なのはlabor-augmentingな(つまり、Harrod-neutralな)技術進歩のみであることがわかる。
これは定常状態が存在するには、技術進歩としてHarrod-Neutralな形式しか想定できないということです。生産関数が、Y = F(K,L) のように資本ストック、労働に依存するものとして定義されるとします。このとき、技術進歩の入れ方として大きく分けて次の3つのパターンがあります。
- Y = TF(K,L)
- Y = F(TK,L)
- Y = F(K,T*L)
- 1: Hicks-Neutralな技術進歩
- 2: Solow-Neutral(capital-augmenting)な技術進歩
- 3: Harrod-Neutral(labor-augmenting)な技術進歩
Jones, C. I. and Scrimgeour, D., (2008). "A New Proof of Uzawa's Steady-State Growth Theorem." The Review of Economics and Statistics, 90(1), pp.180-182. http://dx.doi.org/10.1162/rest.90.1.180
それでは以下で動学的なCGEモデルにおいて定常状態を仮定することに違和感があるのはなぜかを説明します。その準備として、CGE分析の特徴を述べておきます。
- CGEモデルでは多部門・多数財を想定するのが普通。
- 当然、中間財も存在する
- 多地域を想定したグローバルなモデルのケースもある。その場合、モデル上で貿易も考慮される。
また、これから考える定常状態がどのような定常状態かを明確にするため次の想定も置いておきます。
- 規模に関して収穫一定の生産関数を想定
- 人口(労働力人口)の成長率は一定
- 生産性の変化率も一定
多部門(多数財)に起因する問題
実際のCGEモデルでは部門には10部門~40部門くらいを想定することが普通だと思いますが、ここでは話を単純にするため、農業部門、製造業部門、サービス業部門の3つの部門があるとします。この場合、日本が定常状態にあるということは、日本における農業部門、製造業部門、サービス業部門が全て同じ率で成長していくということを意味します。もっと細かく部門を分けて、米、自動車、繊維製品、金融サービスの4つの財考えたとすると、その生産が全て同率で成長(低下)していくということです。
以上のように、多部門、多数財のモデルで定常状態を仮定することは、基本的には全ての部門が同じ率で成長していくことを意味することになります。そのようなことが現実にあるでしょうか?成り立つ可能性が全くないとは言えませんが、日本、米国、中国等の国々でそのようなことが生じるとは考えられないと思います。これがCGE分析で定常状態を仮定することに違和感を感じる一つの理由です。
【注】上で「複数の部門があるモデルでの定常状態では全ての部門が同じ率で成長していなければならない」というようなことを書きましたが、これはそう証明できているわけではないです。個々の部門が異なった率で成長しつつ、経済全体としても定常状態にあるという均衡がもしかしたらあるもしれません。ただ、直感的に考えてそういうことはありそうにないと思いますし、実際これまでそういう状態を満たす均衡の例を見つけたことはないです。ないと言っていいのではないかと思いますが、100%それが正しいというわけではないです。
多数の地域に起因する問題
CGE分析では多数の地域を含んだ多地域モデルがよく利用されます(FTA等の分析や温暖化対策の分析等で)。また単純化のため、日本と中国の2地域しかないとします。そして、このモデルで日本が成長率1%の定常状態にあるとします。すると、中国も成長率1%の定常状態にあることになります。これは次のように示せます。
まず、日本が成長率1%の定常状態ですので、これは日本の生産が1%で成長していることを意味します。日本の生産が1%で成長しているということは、日本の輸出が1%で成長していることになります。さらに、これは貿易相手国である中国の輸入が1%で成長していることを意味します。中国の輸入が1%で成長しているなら、中国の所得・生産が1%で成長している必要があります。これは中国が成長率1%の定常状態にあることを意味します。
以上のように、日本が成長率X%の定常状態にあるとすると、日本の貿易相手国も全く同じ定常状態にあることになります。つまり、多地域モデルで定常状態を仮定するということは、全ての国が同じ率で成長していると仮定するということに等しいということです。このようなことが現実にはありえないことは明白です。これが(多地域の)CGEモデルで定常状態を仮定することに違和感を感じるもう一つの理由です。
技術進歩
最初に述べたように、定常状態を想定するにはHarrod-Neutralな技術進歩しか想定できません。温暖化対策の分析をするようなCGEモデルではこれはものすごくきつい制約となります。温暖化対策を分析するモデルでは、CO2の排出を考えるため、生産の投入物としてエネルギーを考慮することが多いのですが、その際にエネルギー投入の効率性(エネルギー利用に関する技術進歩)が非常に重要な意味を持ってきます。
このような分析では、生産関数として次のようなタイプが利用されることが多いです。
このAEEIは明らかにHarrod-Neutralではないので、AEEIを仮定するということは定常状態が存在しないことを意味することになります。逆に言えば、定常状態を存在させるには AEEIという形の技術進歩を排除しなければいけなくなります。AEEIという想定をできないということは、エネルギー投入が重要な意味を持つモデルにおいて非常に強い分析上の制約になってしまいます。
数量規制に起因する問題
温暖化対策分析のモデルでは、政策として炭素税、排出量取引の二つが削減手段として用いられることが多いと思います。ただ、現在の世界的な趨勢として、キャップアンドトレード型の排出量取引の導入が進んでいることから、CGE分析でもどちらかと言うと排出量取引を想定することが増加していると思います。
炭素税という政策、具体的には、ある一定率の炭素税を持続的に課すという政策は定常状態と整合的な政策です。これに対し、排出量取引は定常状態とは相容れない政策です。というのは、キャップアンドトレード型の排出量取引では、総排出量に規制をかけるからです。例えば、日本のCO2排出量を90年比マイナス25%のレベルまで削減するというような形です。CO2排出量(エネルギー利用量)に一定の制限が加わった状態(CO2排出量を90年比25%減のレベルに保った状態)で、生産等の数量変数が一定率で変化していくというような均衡は普通あり得ないので、定常状態は存在しなくなります。
以上のように、排出量取引という政策を想定すると定常状態がなくなってしまいます。逆に言えば、定常状態を存在させるには、温暖化対策の中で現在最も有望視されている排出量取引という政策を分析対象からはずすことになります。これはやはり分析上非常に大きい問題点になります。
まとめ
マクロ経済学では定常状態を想定して分析がおこなわれることが多いと思いますが、それがおかしいという意見は少ないのでないかと思います(定常状態に辿りつくまでの過程をしっかり分析するべきというような意見はあると思いますが)。一方、CGE分析では、以上の議論が示すように、定常状態という仮定は非常に問題を含んだものになります。
実際、マクロのモデルで日本が1%の定常状態で成長していくという仮定を置いても大きい違和感は生じないと思いますが、それを多部門、多地域のCGEモデルで仮定するとなると、日本の農業部門、製造業部門、エネルギー部門、サービス業部門の生産は全て1%で成長していき、日本の貿易相手国のアメリカ、中国も1%で成長し、技術進歩としてAEEIはなく、labor-augmentingなものしかないということになり、非常に違和感があります。
これは別に、CGE分析のモデルがおかしいということではないと思います。マクロ経済学では普通、1) 一つの財部門で、中間財もない、2) 一国モデル(貿易はあるとしても小国モデルとして、他国は明示的には扱わない)というモデルを用いることから、上で説明したような定常状態という仮定のもたらす問題が生じない、というか目立たないということだと思います。
以上、CGE分析では定常状態という仮定は非現実的に感じやすいということなのですが、だからと言って定常状態を仮定しないかというと、そんなことはないです。仮定することも多いです。ただ、CGE分析においてマクロ経済学で利用されているforward-looking 型の動学モデルではなく、myopicな期待の動学モデルが利用されることが多いのは、forward-looking型のモデルでは上のような面倒な問題が出てくるからというのが一つの理由だと思います。
長々と書きましたが、日本で多部門・多地域のforward-looking型の動学的CGEモデルを利用している人など多くてせいぜい数名程度ですから、こんな文章書いても読む人ほとんどいないと思いますが...