Emacsで利用しているフォント

私は Emacs では主に以下のフォントを利用しています。

HackGen フォントは「Hack」という英文用のフォントと「源柔ゴシック」という日本語フォントを組合せて作成されたフォントだそうです。

一方、Migu フォントは「M+ FONTS」と「IPAフォント Ver.00303」というフォントを組合せたフォントだそうです。

どちらも

  • モノスペースフォント(固定幅のフォント)
  • 全角文字の幅 = 半角文字の幅×2
  • 無料で利用できるフォント

というフォントです(ただし、Miguフォントにはプロポーショナルフォントもありますが)。プログラムなどを書く場合には2番目の特徴が特に重要になります。こうなっていないと英語と日本語を混ぜて書いた場合に桁がずれて見にくくなるので。

上の画像がHackGenフォント、下の画像がMiguフォントになります。

普段は主にHackGenフォントを利用していますが、たまにMiguフォントに切り替えたりしています。フォント切り替え用に、以下のコードをEmacsの設定ファイル(init.elファイル)に追加して、「C-z `」というキー(my-change-v-fontというコマンド)でフォントを切り替えています。こうすると、フォントの種類だけではなく、サイズも簡単に変更できるようになるので。

;; 作成するフォントサイズのリスト
(setq emacs-font-defined-sizes
      '(9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 24 26 28 30 32 34 36 38 40 42 44 46 48 50))

;; フォントセットを作成するための関数
(defun emacs-font-create-fontset
  (fontset ascii-font latin1-font gb-font big5-font japanese-font korean-font size-list)
  (let (size)
    (while size-list
      (setq size (car size-list))
      (setq size-list (cdr size-list))
      (create-fontset-from-ascii-font
       (format "-outline-%s-normal-r-normal-normal-%d-*-*-*-*-*-iso8859-1"
               ascii-font size)
       nil
       (format "%s%02d" fontset size))
      (set-fontset-font (format "fontset-%s%02d" fontset size)
                        'latin-iso8859-1
                        (cons latin1-font "iso8859*"))
      (set-fontset-font (format "fontset-%s%02d" fontset size)
                        'japanese-jisx0208
                        (cons japanese-font "jisx0208-sjis"))
      (set-fontset-font (format "fontset-%s%02d" fontset size)
                        'katakana-jisx0201
                        (cons japanese-font "jisx0201-katakana"))
      (set-fontset-font (format "fontset-%s%02d" fontset size)
                        'chinese-gb2312
                        (cons gb-font "gb2312"))
      (set-fontset-font (format "fontset-%s%02d" fontset size)
                        'chinese-big5-1
                        (cons big5-font "big5"))
      (set-fontset-font (format "fontset-%s%02d" fontset size)
                        'korean-ksc5601
                        (cons korean-font "ksc5601.1987")))))


;; 「Migu 1M」フォントを利用したフォントセットに作成
(emacs-font-create-fontset
 "migu1m"
 "Migu 1M"
 "Migu 1M*"
 "Migu 1M*"
 "Migu 1M*"
 "Migu 1M*"
 "Arial Unicode MS*"
 emacs-font-defined-sizes)

;; 「HackGen」フォントを利用したフォントセットに作成
(emacs-font-create-fontset
 "HackGen"
 "HackGen"
 "HackGen*"
 "HackGen*"
 "HackGen*"
 "HackGen*"
 "HackGen*"
 emacs-font-defined-sizes)

;; フォントセットを変更するための関数
(defun my-change-v-font ()
  (interactive)
  (let ((k-list my-varible-pitch-font)
        (prompt "Insert fontset:")
        f-name)
    (setq f-name
          (completing-read prompt k-list nil nil nil nil))
    (when f-name
      (custom-set-faces
       (list 'variable-pitch (list (list t (list :family f-name)))))
      (message (format "The variable ptich font is changed to %s" f-name)))))

;; my-change-v-font を "C-z `"にバインド
(global-set-key (kbd "C-z `") 'my-change-v-font)

straight.el(Emacsのパッケージ管理)

これまで Emacs でのパッケージ(マクロ)の管理には以下のような方法を使ってきました。

  • package.elpackage-install 命令でインストールするか手動でインストールする。
  • パッケージの設定は use-package でおこなう。

この二つを straight.el というパッケージ管理用のパッケージでおこなうように変更しました。変更した主な理由は、straight なら

  • 利用する設定をしておくと、インストールも自動でおこなってくれる
  • github で配布されているパッケージもインストールできる

という理由からです。

本当は、日本人の方が作成している leaf.el の方がもっと機能が豊富で便利そうでしたが、私は上手設定できなかったので仕方なく straight の方にしました。ただ、straight に変えたといっても、straight で use-package を利用するという方法にしているので、パッケージの設定方法はこれまでの use-package とほとんど変わりはないです。

とりあえず使えるようになりましたが、一つ問題が...

straight ではパッケージをインストールしておくフォルダを Dropbox で共有できないようです。これまではインストールしたパッケージは Dropbox のフォルダに入れ、どのパソコンでも共有できるようにしていました。そうすればいちいちパソコンごとにパッケージをインストールする手間がはぶけるので。ところが、同じことを straight でやろうとすると、異なるパソコンで Emacs を起動するたびにパッケージの build をおこなう動作になってしまいます(要するにインストールしなおす動作になる)。

これでは困るので、straight でパッケージをインストールしておくフォルダをパソコンごとに変えるという設定にしました(straight-base-dirの値をパソコンごとに変えるという設定)。いまいちな対処方法のような気がしますが、他にいい方法を思いつかないので仕方ないです。

私はもう25年くらい Emacs を利用しているので、Emacsには慣れているほうだと思いますが、最近、Emacs の新しい機能やパッケージを使うのが難しいなあと感じるようになってきました。昔は新しいものでももっと簡単にインストールできていたような気がします...単に年をとったせいかもしれませんが、今は昔と比べて選択肢がずっと多くなっていることが原因かもしれません。パッケージ管理方法も、require 命令を使いながら自分で設定を書いていく方法に加え、use-package を使う方法、もっと新しい leafstraightCask を使う方法など本当にいろんな選択肢があります。しかも、leafstraight などは非常に機能が豊富なこともあり、使いかたがややこしいです。昔のように選択肢も少なく、できることも限られていたほうが、使うのはむしろ容易だったかもしれません。

また、昔は Emacs やそのパッケージの使い方を質問できるメーリングリスト掲示板がたくさんありましたが、今はそういうものはほとんどなくなってしまったためかもしれません(今だって、Twitter などでは質問できたりするのでしょうが)。それに、Emacsやそのパッケージについて解説するインターネットのサイトもまとまって情報を提供するところは減ってしまったような気がします。

ちなみに、パッケージ管理の方法を変更しようと思ったのは、chatgpt関連のパッケージを利用しようと思ったのですが、それが melpa などで配布されていないため package-install などのコマンドでインストールできないからです。

序数的効用と基数的効用

著名な日本の経済学者である神取道宏先生が執筆している『ミクロ経済学の力』というミクロ経済学のテキストがあります。

それなりに高いレベルの内容を扱っているにもかかわらず、実例も豊富で、非常にわかりやくすいと言われていて、実際、リンク先のアマゾンのページを見てもらえばわかるように評価も非常に高いです。ミクロ経済学の勉強をしたい人には非常によい本だと私も思います。

ただ、説明がおかしいと思う点が一つあります。それは「効用」の性質についての説明の部分です。もう少し具体的に言うと、「基数的効用」と「序数的効用」についての説明に矛盾しているところがあると思います。

ミクロ経済学のテキストによく出てくることですが、「効用」という概念については「基数的効用」と「序数的効用」という二つの考え方があります。

  • 基数的効用(cardinal utility) → 効用の水準に意味があるという考え方
  • 序数的効用(ordinal utility) → 効用は大小関係にのみ意味があるという考え方

この二つの考え方に対して、『ミクロ経済学の力』の第1章(p.16)では次のような説明をしています。ちょっと長いですが引用します。

重要なのは効用の大小であり、効用の絶対的な大きさには意味がありません。

u(ウーロン茶) = 2,
u(ビール) = 1

であると経済学者がいうとき、これが意味するのは、ウーロン茶の満足度はビールの満足度の2倍であるということではなく、単にウーロン茶のほうがビールよりも好きだということなのです。別に

u(ウーロン茶) = 1000000000000,
u(ビール) = 1

としてもよいわけです。注意してほしいのは、「満足度の大きさ」は、温度や物価水準のように客観的に計ることは不可能だが、「どちらが好きか」という選好≿は調べることができるということです(ウーロン茶とビールのどちらが好きか聞けばよい。あるいは、実際に二つのうちどちらを選ぶかを見ればよい)。このように、効用を、(原理的には測定できる)人々の好み≿を表わす便利な工夫とみなす考えを「序数的効用理論」といい、現代の経済学はこの考えに従っています。

これに対し、19世紀の経済学では効用を「満足度の大きさ」と考え、その大小関係だけでなく本来は測定できないはずの絶対的な大きさにも意味があると考えていました。こうした、今では過去のものとなった考え方を「基数的効用理論」といいます。

効用というものは大小関係しか意味がないと説明していますので、序数的な解釈は意味があるが、基数的な解釈は意味がないという主張になります。この考え方自体は別におかしいわけではありませんが、仮に基数的な解釈は意味がない(序数的な解釈しか意味がない)とすると、「期待効用(expected utility)」や「生涯効用(lifetime utility)」といった概念を使えなくなってしまいます。というのは、期待効用も生涯効用も効用の荷重和(期待効用の場合は各状態で実現する効用の荷重和、生涯効用の場合は各時点で実現する効用の荷重和)として定義されるものであり、基数的な効用を前提としているからです。

それでは『ミクロ経済学の力』では「期待効用」や「生涯効用」という概念は使っていないかというと、もちろんそんなことはなくて、第6章の不確実性を扱う部分で当然「期待効用」が出てきます。これは第1章での説明と明らかに矛盾していると思います。

この点については、神取先生ご本人も整合的ではないと考えているのか、第6章の注(コメント6.4)で、「ある人の好み(選好)を表す効用」は期待効用モデルで使われる「危険に対する態度を表す効用」とはちょっと違うものだというような説明をしています。ただ、この説明は私にはよくわかりません。期待効用モデルで使われる「効用」を普通の「効用」と区別する理由がわからないです。期待効用モデルで使われる効用は所得の関数としての効用で、普通の効用は財の消費量などの関数としての効用という区別をしているのかもしれませんが、財の消費からの効用の期待効用を考えることも普通にあると思いますし。

第1章と第6章の説明、内容が矛盾していることは置いておくとしても、『このように、効用を、(原理的には測定できる)人々の好み≿を表わす便利な工夫とみなす考えを「序数的効用理論」といい、現代の経済学はこの考えに従っています』という説明や『19世紀の経済学では効用を「満足度の大きさ」と考え、その大小関係だけでなく本来は測定できないはずの絶対的な大きさにも意味があると考えていました。こうした、今では過去のものとなった考え方を「基数的効用理論」といいます』という説明は言い過ぎではないかと思います。基数的な解釈は過去の古い考え方と説明していますが、基数的な解釈を前提とする「期待効用」や「生涯効用」などの概念は経済学の多くの分野(特に、不確実性を扱う分野、マクロ経済学など)で現在でも多用されていますから。

ミクロ経済学の力』は非常に良いテキストだなと思いますが、この部分についてはちょっとおかしいんじゃないかと思っています。

ついでに、他のテキストではどんな説明がされているのかも紹介しておきたいと思います。まず、これもミクロ経済学のテキストとして非常に有名な、武隈愼一先生のミクロ経済学では次のような説明をしています(p.31)

武隈愼一、『新版ミクロ経済学』、2016、新世社、新経済学ライブラリ.

以下の節における消費者の行動の説明には効用の基数的性質は不要である。なぜなら、消費者が任意の二つの消費計画を比較し、どちらを選好するか、あるいはそれらは無差別であるかは無差別曲線の形状だけに依存し、効用の絶対水準には依存しないからである。しかしながら、8章で扱う保険や資産選択のような不確実性が存在する場合には効用の基数的性質が重要となる。

通常の消費者の理論の部分では基数的な解釈は必要はないが、不確実性を考慮する場合、つまり期待効用を考える場合には基数的な解釈が必要と説明されています。

また、これも有名な奥野正寛先生のテキストでは次のように説明しています(p.33)。

奥野正寛、『ミクロ経済学』、東京大学出版会、2008.

また、ここで定義された効用は、序数効用(ordinal utility)である.つまり、効用の値は,「二つの消費計画の間で、どちらの方が効用の値が多きいか、あるいは等しいか」という点だけで意味を持ち、それ以外の意味はない。

基数効用とは、効用の差がきちんと定義されるような効用のことである。

同じ効用関数でも、不確実性のある場合に定義されるノイマン・モルゲンシュテルン効用関数は、基数効用である。これに対してここで定義した効用関数は、序数効用であり、効用の差はそれが正か負かということだけ意味があり、その値には意味がない。

やはり、期待効用を考えるときには基数的な解釈が必要という説明をしています。

私自身も後者の2冊のような説明、つまり、消費者の理論を考えるときには基数的な解釈は必要ではないが、期待効用(や生涯効用)を考えるときには基数的な効用が必要になるよという説明がしっくりきます。基数的な解釈については「効用の水準なんて測れるのか?」という疑問がありますが、現在でもいろんな分野で基数的な解釈が利用されているのが現状ですので、基数的な解釈は古いだの、無意味だのといってしまうのはおかしいと思います。

EUのCBAM(炭素国境調整措置)についての論文の公開

早稲田大学の有村俊秀先生と共同でおこなったEUのCBAMについての研究をまとめた論文が出版されました。以下の場所にあります。

https://doi.org/10.1016/j.japwor.2024.101242

EUが導入したCBAM(炭素国境調整措置)がもたらす影響を、応用一般均衡モデル(computable general equilibrium model、CGEモデル)によって分析した研究です。

基本的には↓ポストで紹介したディスカッションペーパーと同じ内容ですが、出版されたものでは説明などを詳しくしてあります。

shiro-takeda.hateblo.jp

経済学のテキストのおかしいところ

shiro-takeda.hateblo.jp

以前に上のポストで、「逆S字型の総費用曲線」というものが経済学のテキスト(入門書)に出てくる理由がわからないということを書きました。

逆s字型の総費用曲線は、1)経済学の応用分野では全くでてこない、2)現実の経済を分析する際にもほとんど利用されない、つまり、経済学の概念として重要性が非常に低いと思われるのに、多くの経済学のテキスト(それも入門書)でとりあげられている理由がわからないというようなことです。

ただ、全く検討もつかないというわけではなく、なんとなくこんな理由ではないのかなと思うことはあります。それは「公務員試験や資格試験などの経済学の問題に逆s字型の総費用曲線が取り上げられることが多いから」ということです。

公務員試験では、国家公務員の場合はもちろん、地方公務員の場合でも経済学の科目・内容が含まれることが多いと思います。また、公認会計士中小企業診断士などの資格試験にも(選択科目の場合もありますが)経済学が含まれています。

経済学のテキストの主な用途は大学の経済学の授業での利用だと思いますが、公務員試験、資格試験の勉強用にも利用されることは多いと思います。こういった各種の試験の勉強向けにもテキストを利用できるようにするには、そういった試験によくとりあげられる内容をカバーする必要があります。それが「逆S字型費用曲線」がテキストでとりあげられる理由ではないかと思います。

各種試験に取り上げられるので経済学のテキストでも扱われるというのは自然なことだと思いますが、経済学上の重要性があまりないものまで「試験の問題に出るから」ということでテキストでとりあげることはあまり望ましいことではないと思います。

さらに、もっと問題なのは、一度、多くのテキストで扱われるようになると、テキストで扱われるから各種の試験で取り上げるということにつながって、

経済学のテキストでとりあげる → テキストで扱われているので各種試験でとりあげる → さらに、経済学のテキストでとりあげる → •••

のようなサイクルが生じることだと思います。一度このようなサイクルが生じると、その内容が経済学上あまり意味のないものであっても、多くのテキストで扱われ続けることになってしまいます。その結果、改まってよく考えると「なぜこんなことをテキストで取り上げているの?」というようなトピックがテキストに含まれるようになります。

ここまでは「逆S字型費用曲線」を例として話をしましたが、他にも経済学上は重要ではないのに、テキストではなぜか取り上げられるものはあると思います。

例えば、マクロ経済学の金融政策のところで、金融政策の代表的な手段として「(法定)準備率の操作」がよくとりあげられています。例えば、私が持っている本ですと以下のような本でとりあげています。

  • 浅子和美,(2021),『経済学入門15講』,ライブラリ経済学15講[BASIC編],新世社
  • 井堀利宏,(2016),『入門経済学[第3版]』,新世社

しかし、下のページで説明されているように、91年10月以降、準備率は変更されていません。つまり、30年も使われていない政策であり、代表的な金融政策どころか、むしろ政策としての重要性は非常に低いと思います。

www.boj.or.jp

それにもかかわらず、あたかも主要な金融政策手段の一つのような形で入門書で取り上げられることが多いです。これも「準備率の操作」というトピックが各種試験でよくとりあげられるからではないかと思います。

最近のテキストの中には、「準備率の操作はあまり利用されることがなく、政策としての重要性は低い」という説明をしているものもあります。例えば、以下のテキストです。

ただこういうテキストであっても、「公定歩合操作(基準貸付利率)」,「公開市場操作」とともに金融政策の手段として「準備率の操作」を紹介しています。現状では金融政策の一手段として紹介する意味はほとんどないないと思いますが、やはり試験で取り上げられるという可能性を考えると、一応、紹介しておかないとということで取り上げているのではないかと思います。

私自身、授業では経済学のテキストを利用して教えているのでこんなことを言うのもちょっと無責任ですが、経済学のテキストでは↑のようなことがあるので、その内容を馬鹿正直に受けとらないほうがよいと思います。

GAMS とオンライン・ストレージ・サービス

最近はDropbox、OneDrive、Google Driveのような、ネットにファイルを保存するクラウドサービスを利用する人が多いと思います。私もこの3つを用途によって分けて利用しています。

研究用には主にDropboxを利用していて、GAMSのプログラムなどもDropboxで同期するフォルダに置いています。こうしておけば、大学の研究室でも教室でも自宅でも外でもネットさえつながっていれば同じファイルにアクセスできますから非常に便利です。

ただ、Dropbox内のファイルにGAMSを実行するとたまに問題が起きます。具体的には、Dropbox内のプログラムにGAMSを実行すると途中でエラーが生じ、止ってしまうことがよくあります。特にMPSGEで記述したモデルを実行するときにエラーが出ることが多いような気がします。Dropbox内のフォルダにあるファイルは通常、アップデートされるたびにクラウドと同期されます。GAMSを実行するといろんな一時ファイルが生成されますが、Dropboxがそういう一時ファイルを同期しようとして問題が生じているのではないかと思いますが、はっきりした原因はわかりません。常にエラー出るというわけでもないですし。

解決策として、GAMSを利用する際にはDropboxの同期を一時的に停止するという方法をとっています。これでGAMSの実行時にエラーが生じるという問題は解決できるのですが、同期の停止を解除するのをよく忘れてしまって困ります。実際、大学でおこなっていた作業の続きを自宅に帰ってしようと思ったら、大学のDropboxの同期の停止を解除し忘れていて、クラウドと同期できていなくて、自宅でファイルを利用できなかったということを何度も経験しています(逆に自宅の同期の停止を解除し忘れたケースもよくあります)。

クラウドサービスをオンにしている環境でGAMSを使うときに問題が生じることは他にもあるようです。以下のGAMSのメーリングリストのメールでもクラウドサービス上のファイルに対してGAMSが上手く動かないことがあると指摘されています。

https://www.listserv.dfn.de/sympa/arc/gams-l/2024-01/msg00005.html

まあ、仮にGAMSが上手く動くとしても、GAMSを利用する際に常に同期をオンにしておくことはあまり望ましくないかもしれません。というのは、上で書いたように、GAMSを実行するとたくさんの一時ファイルが生成されるのですが、同期をオンにしていると、そういう一時ファイルまで全て同期しようとして、ネットの通信量が増えてしまうからです。一時ファイルはGAMSの実行が終了すれば削除されるもので、同期する意味はありませんから、そういうファイルの同期は単に無駄な通信量です。

「脱成長(degrowth)」について

私はよく知らなかったのですが、経済成長を追求することは不要、あるいは望ましくないというような考え方があるそうです。「脱成長(degrowth)」というそうです。

この「脱成長」という主張を「ノア・スミス「脱成長:いらないよそんなの」(2023年5月24日)|経済学101」というページが批判しています。このページは「Degrowth: We can't let it happen here! by Noah Smith」のページを日本語に訳したもののようです。

私は脱成長という主張のことはほとんど知らないので、その妥当性も、それに対する批判の是非もよくわからないです。ただ、この「脱成長」を批判しているページの内容におかしい部分があります。

おかしいのは以下の部分です。以下、引用。

それでいて,脱成長の人たちが引用してるのはどういう人たちなのかと調べてみると,こういう分野の定評ある研究者は一人も出てこない.論文の参照文献リストを眺めてみよう.こういう学術誌が並んでるのが見てとれる:

『環境価値』(Environmental Values)
『未来』(Futures)
『地域環境』(Local Environment)
『生態経済学』(Ecological Economics)
『テクノロジー予想と社会変化』(Technological Forecasting and Social Change)
『幸福研究ジャーナル』(Journal of Happiness Studies)
『よりクリーンな生産ジャーナル』(Journal of Cleaner Production)
『政治生態学ジャーナル』(Journal of Political Ecology)
『金融と環境政策マクロ経済学』(Finance and the Macroeconomics of Environmental Policies)

……などなど.もう一方の Fitzpatrick et al. (2022) に目を向けても,同じようなリストが載っている.

いろいろ並んでる学術誌の名前を見ても心当たりがないなら,それには理由がある.こういう学術誌は,経済学・生態学歴史学社会学のトップ学術誌ではないばかりか,それぞれの分野の研究者たちがまともな学術誌と呼ぶものですらない.脱成長を唱える人たちや,総じてそれに連なる人たちによってつくりだされた名も知られない学術誌だ.

上に挙げられている『Environmental Values』、『Futures』等の雑誌は「脱成長を唱える人たちや,総じてそれに連なる人たちによってつくりだされた名も知られない学術誌」であって、「それぞれの分野の研究者たちがまともな学術誌と呼ぶものですらない」という説明があります。しかし、少なくとも『Ecological Economics(以下、EE)』や『Journal of Cleaner Production(以下、JCP)』についてはこの説明は全く事実に反すると思います。

環境経済学以外の分野の経済学の専門家がEEを知らないのは普通だと思いますが、環境経済学を専門とする人にとってEEが「名も知られない学術誌」ということはないですし、むしろよく知られた雑誌だと思います。また、EEに「脱成長」についての論文が揭載されることはあるかもしれませんが、多くの論文はそれとは関係ないテーマを扱ったものであり、「脱成長」の信奉者による論文ばかりが揭載されるような雑誌ではないと思います。私も何本かEEに揭載された論文を読んだことがありますが、全て脱成長とは何にも関係がない環境についての論文でした(応用一般均衡分析の論文でした)。

そもそも、EEは創刊が1989年ですから、最近はやっているという「脱成長」の信奉者、賛同者によってつくりだされたというのはつじつまがあわないんじゃないでしょうか。

もう一つのJCPに関してはさらに「脱成長」とは関係が薄いと思います。

https://www.sciencedirect.com/journal/journal-of-cleaner-production/vol/414/suppl/C

上のページを見ればJCPに最近揭載されている論文がわかりますが、この雑誌は学際的(transdisciplinary)な雑誌で、経済学の分析の論文も揭載されますが、自然科学や工学の分野の研究も多いです。「脱成長」についての論文も揭載されたことがあるとは思いますが、ほとんどの論文は「脱成長」とは無関係だと思います。学際的な雑誌ということで、経済学者でこの雑誌を知らない人は多いと思いますが、環境経済学の研究者なら知っている人は多いと思いますし、評価もそれなりに高いと思います。ちなみにImpact Factorは10を越えています。

上の「脱成長」批判のページの文章を書いた人は、経済学全般の知識はあるようですし、「脱成長」の問題点の指摘は適切なのかもしれませんが、『Ecological Economics』や『Journal of Cleaner Production』の二つを指して「それぞれの分野の研究者たちがまともな学術誌と呼ぶものですらない.脱成長を唱える人たちや,総じてそれに連なる人たちによってつくりだされた名も知られない学術誌」というのはさすがにいいかげんだと思います。

GAMS Connect(gdxxrwに代わるもの)

私はGAMSを利用するときに、データをExcelファイルからインポートしたり、計算結果をExcelファイルにエクスポートするということをよくおこないます。その際に、gdxxrwというGAMSに付属のプログラムを利用します。

どのようにExcelとデータのやりとりをするかについては、以下の記事で書いているので、そちらを読んでください。

shiro-takeda.hateblo.jp

このgdxxrw.exeを利用してExcelとデータのやりとりをすることに関しては一つ大きな問題があります。それは「gdxxrw.exeはWindows上でしか動作せず、MacLinuxでは利用できない」ということです。私自身はほとんどWindowsしか利用しないので特に問題ないのですが、現在は研究者でもMacを利用する人が多いようなので、そういう人には困ることだと思います(GAMS自体はMacLinux版があり、それは問題ないのですが、gdxxrwはWindows版のみです)。

この問題を知らずに「Macでgdxxrwが動かない」と質問する人がよくいます。例えば、→の人です。「GAMS on MACOS CATALINA; GAMS World Forum

これへの対処方法ですが、上の質問への回答にあるように「GAMS Connect」という仕組みを利用すればよいようです。

GAMS Connect

このGAMS Connectという仕組みはExcelとのデータやりとりに利用できるようで、しかもWindows以外でも利用できるようです。ただ、まだベータ版ということのようですし、gdxxrwよりも使い方が難しそうです。一度、ちゃんとマニュアルを読んで使い方を早く覚えたいと思います。

応用一般均衡分析に関する論文

内閣府の『経済分析』に以下の論文を書きました。

武田史郎 (2023),「カーボン・ニュートラルに向けた政策の経済効果のモデル分析」,内閣府経済社会総合研究所『経済分析』,第 206 号, pp.199–219,https://www.esri.cao.go.jp/jp/esri/archive/bun/bun206/bun206j.pdf.

温暖化対策の分析をした応用一般均衡分析について紹介した論文(サーベイ論文)です。温暖化対策の応用一般均衡分析に興味がある人には参考になるのではないかと思います。

「市村地球環境学術賞」

この度、早稲田大学政治経済学術院の有村俊秀先生と青山学院大学経済学部の松本茂先生と共同で、「リコー(RICOH)」の創業者である「市村清 」氏が設立した「市村新技術財団」が授与する「市村地球環境学術賞」を受賞することになりました。「市村地球環境学術賞」はこれまで理系の研究が受賞対象になってきたようですが、今回、経済学の研究で受賞することができました。お二方と共同でこれまで取り組んできた環境問題、特に気候変動対策の経済分析の研究が評価されてのことです。

過去の受賞一覧 第55回 / 市村賞贈呈 | 公益財団法人 市村清新技術財団

有村先生、松本先生と比較し、私の貢献は小さいのですが、この受賞を機にこれまで以上に研究に取り組んでいきたいと思います。