大学の人事

Xの上のポストに以下のようなことが書かれています。

若い教員に対しても別の教員は人事権も給料査定の権利もないので、年上だからと言って、言うこと聞いてくれませんよ。揚げ足とっているのではなく、教員に因縁つける人たちの想定する教員の権力がガバガバに膨らんでいるんです。

「年齢が高い教員が若い教員に対する人事権を持ってるわけではない」とようなことが書かれています。これが当てはまる大学もあると思いますが、少なくとも私が所属する京都産業大学の経済学部には当てはまらないです。というのは、京産大の経済学部では、年齢が高い教員が若い教員に対する一定の人事権を持っているからです。正確には、教授が准教授や助教に対する人事権を持っているということですが。

京産大では、専任教員には基本的に「教授」、「准教授」、「助教」の3つのポストがあります。ですので、「助教→准教授」、「准教授→教授」という形の2つの段階の昇任があります。京産大の経済学部では、この昇任を判断するのは経済学部の人事委員会というルールを採用しています。そして、「経済学部の人事委員会の構成メンバー=経済学部の教授」となっていますので、結局、「教授」である先生が「助教から准教授」、「准教授から教授」の昇任の判断をするということになります。「人事権」というのをどのように捉えるかにもよりますが、助教や准教授の先生の昇任という重要な人事の決定について、教授(基本的には年が上の先生)が権限を持っていることになります。

具体的な例をあげれば、ある助教の先生の准教授への昇任について、ある一人の教授の先生が強く反対するようなことがあれば、昇任できないというようなことがおこるということです。

また、元のポストは「給料査定の権利もない」と書いていますが、これも京産大の場合、全くこの通りとは言えないです。もちろん、教授が准教授や助教の給料の査定をおこなうというようなことはありませんが、京産大の場合、そもそも教授、准教授、助教というポストで給料が変わってきますので、教授が昇任について影響力を持つということは、教授が間接的に准教授、助教の給料の水準にも影響力を持っていると言えるからです。

他の大学の事情はよくわかりませんが、同じような大学は多いのではないかと思います。私が京産大の前に所属していた大学もそうだったですし...

元のポストでは、「年齢が高い教員が若い教員に対する人事権を持っていない」ということが、大学一般に成り立つ話のように書かれていましたが、実際はそうじゃないケースも多いのではということです。

これは前の記事でも触れたことですが、大学の教員は、自分が所属している大学や組織の事情を、「大学一般」の話として話すことが非常に多いと思います(元のポストも自分の大学のことを話ししているのかもしれません)。しかし、大学の制度や慣行は、大学ごと、学部ごとにかなり違います。したがって、「大学ではこうだ」と一般化する場合には、少し慎重である必要があると思います。

大学の教員でいいかげんなことを言う人、すごく多いと思います。大学の教員の言っていること、あんまり真に受けないほうがいいですね...


[補足]

  • 厳密に言うと、京産大では「昇任」については、学部の人事委員会は案を出すだけで、最終的に決定するのは理事会ということになっています。しかし、学部の人事委員会の案を理事会がくつがえすことは経済学部の場合ほぼないので、実質的には学部の人事委員会が決定しているのと同じです。
  • また、京産大の場合、「助教」は元々任期付きの雇用(5年まで)なので、「助教→准教授」は厳密には昇任ではなく、新たに雇用しなおす(新規採用)ということになってます。

大学の授業・履修について

Xで、大学の授業の履修に関して、次のようなポストを見かけました。

上のポスト、北陸大学の山本啓一先生という方のポストです。これは今の大学生が結構忙しいんだということを主張する流れの中で書かれたポストのようです。このポストの中に次のような主張があります。

「10コマ=2単位として20単位、1年間で40単位。3年で120単位。4年目はゼミだけ残して4単位。これ標準の学び方では?」

これは、大学生が半期(半年)に10コマ、20単位分の授業を履修し、1年間で40単位、3年間で120単位を取得する。そして4年目にはゼミだけを残して4単位を取得する、という履修の仕方が「標準的」という主張です。

「これが標準的」と書かれていますが、このような履修の仕方を大学生一般にとって標準的なものとみなしてよいかについては、私は少し疑問に思います。特に、「半期に10コマを履修する」という部分については、あてはまらないケースが多いのではないかと思います。

大学生がどんな風に授業を履修しているのか、よく知らない人も多いと思いますので、以下では、学生の履修の状況について、京都産業大学(以下、京産大)の事例をもとに説明します。ただし、大学の授業や単位制度について一定の前提知識がないと議論がわかりにくいため、まず「コマ」と「単位」について簡単に整理しておきます。

「1コマ」

最初のポストに出てくる「1コマ」とは、大学における一つの授業のことで、1コマの授業は、基本的に「90分の授業を15回」という形で実施されます。多くの大学は2セメスター制(つまり前期・後期という2学期制)を採用しています。そのため、通常は「週1回90分の授業を15週おこなう」ことによって、1コマの授業が構成されます。よって「半期に10コマ履修する」とは「週に1回90分の授業×10個を15週受ける」という意味になります。

「単位」

「単位」とは、授業に合格することによって取得できるポイントのようなものです。大学を卒業するためには、それぞれの大学・学部が定める卒業要件を満たすだけの単位を取得する必要があります。現在、多くの大学・学部では、卒業に必要な単位数は124単位程度に設定されているようです(京産大も同じです)。「コマ数」と「単位数」が似たようなものに思えるかもしれませんが、これは同じではありません。1コマの授業であっても、2単位を取得できる授業もあれば、1単位しか取得できない授業もあるためです(どのような授業が2単位で、どのような授業が1単位かは下で説明します)。

「履修している授業」と「単位を取得した授業」

また、「コマ」や「単位」について議論する際には、「履修している授業のコマ数・単位数」「実際に取得した授業のコマ数・単位数」を区別する必要があります。元のポストでは「コマ」、「単位」がどちらを指しているか明示されていないので話がわかりづらいのですが、とりあえず以下の議論では「履修している授業のコマ数・単位数」ということにします。

大学では、履修登録をした授業の単位を必ず取得できるわけではありません。履修はしていたが、成績が不可となり、単位を取得できないこともあります。そのため、「履修している授業のコマ数・単位数」と「単位を取得できた授業のコマ数・単位数」は一致しません。当然、「前者の数≧後者の数」となります。

卒業要件としてカウントされるのは、当然ながら取得した単位です。一方、学生の学業上の負担を考えたいときには、取得単位数よりも、履修している(or していた)授業数や履修単位数に注目する方が適切な場合もあります。というのは、単位をとれなかったとしても、授業に出席し、課題などをおこなっていたのなら、負担はあるので。ただし、履修登録をしていても実際には授業にほとんど出席していないという場合もあるため、「履修している授業数・単位数=学生の負担」と単純に考えることもできません... いずれにせよ、「履修している授業のコマ数・単位数」と「実際に取得した授業のコマ数・単位数」は、場合によっては大きく異なりますので、両者を区別して議論する必要があります。


「半期10コマ・20単位」は標準的か?

最初のポストにある「10コマ=2単位として20単位」という表現は、要するに、「半期15回の授業を週に10コマ履修し、それらがすべて2単位科目であるため、合計20単位を履修する」ということです。

この想定は実態に即しているかを、京産大の経済学部のケースを例に見てみたいと思います。

ここで「京産大の経済学部」と限定しているのには理由があります。学生が履修する授業数や単位数は、大学によって異なるだけでなく、同じ大学の中でも学部によって大きく異なるためです。

その理由の一つは、履修できる単位数の上限が大学・学部によって異なることです。

京産大・経済学部では、半期に履修できる単位数の上限が24単位に設定されています。一方、同じ京産大でも、経営学部では半期の履修上限は22単位です。他大学の状況はよくわからないのですが、24単位とは異なる上限を設けている大学・学部は多数存在すると思われます(ちょっと検索した限り、22単位を上限とするところはかなり多いようです)。履修できる単位数の上限が異なれば、当然、学生が履修する単位数や授業数も変わってきます。

さらに、大学・学部によって、授業のタイプも異なります。授業のタイプとは、講義科目、語学科目、実験科目、実習科目、実技科目などの区別です。単位数を考える際には、この区別が重要です。なぜなら、一般に、講義科目は「1コマ=2単位」であることが多いのに対し、語学、実験、実習、実技などの科目は「1コマ=1単位」であることが多いからです(なぜ同じ1コマで、講義系の方が単位数が多くなるかを不思議に思う人は多いと思いますが、ここでは省略します。おかしな(?)理由なので興味がある人はネットで調べてみてください)。

どのタイプの授業が多いかは、大学・学部によって大きく異なります。経済系の学部では講義科目が多いため、1コマ2単位の授業が比較的多くなります。一方、文系でも外国語学部であれば語学科目が多くなるため、1コマ1単位の授業が多くなります。(私自身よく知らないのですが)理系学部については実験・実習科目が多い学部では、やはり1コマ1単位の授業が相当程度含まれると考えられます。

したがって、単純に「10コマ=20単位」とはならないです。この計算は、10コマすべてが2単位科目である場合には成り立ちますが、語学や実験・実習などの1単位科目が多い学部では成り立ちにくいです(1単位の授業が多い場合は、同じ単位数であってもコマ数は多くなります)。ですので、元のポストの議論は「1コマ=2単位」を前提としている時点で少しおかしいということになります(ただし、学部によってはほとんどの授業が「1コマ=2単位」ということもありますので、全くまとはずれというわけでもないです)。


京産大・経済学部における1年生の履修状況

では、京産大・経済学部の学生は、実際にはどの程度の授業・単位を履修しているのでしょうか。

1年生を例にとると、平均的には、半期で「13コマ、21〜22単位」程度を履修しているようです。年間で見れば、その倍ですので、「26コマ、42〜44単位」程度となります。

[注]ここでいう単位数は、あくまで履修している単位数であり、取得した単位数ではありません。単位を落とす学生もいるため、実際に取得する単位数はこれより少なくなります。

したがって、京産大・経済学部の1年生についていえば、元のポストで主張している「半期10コマ、20単位」よりも、多いコマ数・単位数を履修している傾向にあるということです。

なぜ京産大・経済学部の1年生が「13コマ、21〜22単位」程度になるのかを、もう少し具体的に説明します。

先に述べたように、京産大・経済学部では、半期に履修できる単位数の上限が24単位です。この上限いっぱいまで履修する学生もいますが、多くの学生は24単位までは履修しません。その理由を明確に把握しているわけではないですが、おそらく次のような理由が関係していると思われます。

  • 履修したい授業が、人数制限のために履修できない。
  • 月曜日から金曜日のうち、1日を授業のない日にしたい。
  • 1限(午前9時開始の授業)を避けたい。
  • 単位や履修に関するルールを十分に理解していない。

教員としては、履修上限に近い単位数を履修しておくよう指導することが多いのですが、実際には上記のような理由から、学生は履修上限いっぱいまでは履修せず、平均的には21〜22単位程度の履修となるようです。

次に、履修するコマ数について考えます。

京産大・経済学部では、英語と第二外国語が必修となっています(もしくは、第二外国語は履修せず、英語をたくさん履修する)。そして、普通は1年生、2年生のときに英語と第二外国語を履修します。これらは語学科目ですので、基本的には1コマ1単位の授業です。1年生の場合、英語と第二外国語を合わせて、通常は4コマ履修します。この部分は4コマで4単位になります。仮に、半期に22単位を履修するとし、このうち語学科目の4単位を除くと、残りは18単位です。この18単位を講義系の2単位科目で履修すると「18/2 = 9コマ」となります。

したがって、典型的には次のような構成になります。

  • 語学科目:4コマ、4単位
  • その他の講義科目:9コマ、18単位
  • 合計:13コマ、22単位

もちろん、学生によって履修の仕方には差があります。語学やコンピュータ実習などの1単位科目を普通より多く履修している学生は、同じ履修単位数でもコマ数がさらに多くなります。一方、合計の履修単位数を少なくしている学生は、コマ数も少なくなります。

それでも、平均的には、京産大・経済学部の1年生は「半期22単位、13コマ」程度を履修しているようです。

このことからすると、元のポストの「半期10コマ」は、京産大・経済学部の学生の実態よりは少ないことになります。13コマと10コマの違いですから差は3コマです。3コマだけと見ることもできますが、比率でいえば30%の違いです。したがって、実態から一定程度乖離した主張と言ってよいと思います。


学部による違い

ここまでは、私が所属する京産大・経済学部を例にしてきました。しかし、同じ大学であっても、学部が異なれば状況はさらに変わります。たとえば外国語学部の場合、語学科目が多くなります。語学科目は1コマ1単位であることが多いため、同じ単位数を履修するとしても、コマ数は経済学部より多くなるのが普通です。

京都産業大学の外国語学部の場合、半期の履修上限は経済学部と同じ24単位です。しかし、外国語学部の1年生が履修しているコマ数は、半期で15〜16コマ程度になることが多いようです。したがって、外国語学部の場合、経済学部と同じ文系学部ではありますが、「半期10コマ」という主張からはさらに乖離していることになります(5割増しです)。

「半期10コマ、20単位」という履修の仕方に近い大学・学部も存在するとは思います。しかし、以上の京産大の例が示すように、それとはかなり異なる履修状況にある大学・学部も少なくないと思います。ですので、仮に文系学部に限定したとしても、「半期10コマ、20単位」という履修方法を「標準」と呼ぶのは適切ではないと思います。


「4年目はゼミだけ」という想定について

さらに、元ポストでは「4年目はゼミだけ残して4単位」という主張もしていますが、これも京産大・経済学部に関してはとても標準的とは言えないです。

もちろん、1年生から3年生までに順調に単位を取得し、4年生ではゼミ、すなわち演習科目だけを履修すれば卒業できる学生もかなりいます。しかし、多くの学生は、3年生までに一定数の単位を落としています。そのため、4年生の時点で、卒業に必要な単位をなお相当数残している学生もかなりいます。私のゼミの学生でも、4年生で20単位以上を取得しなければならない学生は(残念ながら)珍しくありません...仮に4年生で年間20単位を取得しなければならないとすると、すべて2単位科目で履修したとしても、少なくとも10コマを履修する必要があります。さらに、単位を落とす可能性を考慮して余裕を持って履修しようとすると結局15コマ程度履修することになります。これは、半期あたり7~8コマ程度に相当します。ゼミを1コマだけとればいいというのとは大きく乖離します。

したがって、「4年目はゼミだけ」という履修の仕方も、単位取得が非常に順調な学生にとってはありうるものですが、それを標準的な履修の形式とみなすことは、少なくとも京産大・経済学部の実態から見ると難しいと思います。

これについては、多くの大学で留年率(標準修業年限を越えて卒業する人の割合)が10%を越えているのですから、単位を順調に取得できない学生はどの大学でもそれなりにいることが明らかです。そして、そのような学生は4年生のときにゼミの4単位だけをとればいいという状況にない可能性が高いです。 留年する学生だけでもそれくらいいますし、留年をしないとしても、4年生のときに単位をそれなりに残している学生はかなりいますから、やはり「4年目はゼミだけ残して4単位」というのは標準的とはとても言えないと思います。

[注]各大学の留年率(標準修業年限を越えて卒業する人の割合)の値は大学ランキングという本や各大学の情報公開のページで確認できます。


単位を取得した授業の単位数

ここまでは、基本的に「履修する授業」のコマ数・単位数のことを話してきました。そして、履修する授業のコマ数・単位数は「半期10コマ、20単位」よりも多いケースがよくあるということを説明しました。一方、単位を取得した授業の単位数ということでいうと、結局、4年間で124単位~130単位くらいになることが多いと思います。というのは最初の方で説明したように、卒業に必要な単位数は124単位と設定されていることが多く、多くの学生は卒業に必要な単位数をちょっと上回るくらいの単位を取得することが多いためです。ですので、仮に1年生、2年生のときにたくさん単位を取得できれば、3年生、4年生となるにつれて、履修する単位を減らしていき、結局、総単位数が124単位~130単位程度になるように調整するということです。

上で京産大のケースとしてとりあげたのは、あくまで「1年生」です。1年生、2年生でたくさん授業を履修し、多くの単位を取得できれば、3年生、4年生では逆に履修する単位を減らす可能性が高いです。つまり、大学、学部だけではなく、どの学年かによっても履修する単位の数は大きく変わってくるということです。


大学の履修実態を一般化することの難しさ

最初に紹介したポストに対しては、Xでも「実態に合っていない」、「少なすぎる」といった反論も多いようです。上で説明したように、私自身も、上記のような履修の仕方を大学生一般にとって標準的なものとみなすことには、かなり無理があると考えています。

ただし、この問題は、単に特定の発言が正しいかどうかという話ではなく、大学の授業や履修の実態について議論することの難しさを示しているように思います。

つまり、Xでは大学や大学生の状況について発言する人がたくさんいるのですが、多くの発言は発言者の個人の経験に基づいた狭い範囲でしか成り立たないことが多く、様々な大学、学部にわたる大学界全体像を反映した発言は非常に少ないのではないかということです。

元のポストをした先生は、経歴を見る限り、経済系学部の学部長を経験されたこともある方であり、大学教育の状況については、通常の教員よりもよくご存じの方だと思われます。しかし、経済学部と同じ文系学部である外国語学部の状況はよくご存知ないようですし、さらに、理系学部のことに関する認識はもっと薄いようです。

これはある意味当たり前で、普通の大学の教員は全大学の全学部の状況なんて知る機会もありませんし、知る必要性もないですから、自分が所属したことがある大学・学部の状況しか知らないのが普通です。だから狭い範囲の(偏った)知識しかないのはむしろ普通です。

問題なのは、(多くの場合、偏った、断片的なものにすぎない)自分の経験、知識が多くの大学・学部に普遍的に成り立つと考えている人が多いということだと思います。自分の知識が偏っていることを認識した上で議論するのなら、少しはましな議論になるかもしれませんが、知識が偏っていのにもかかわらず、自分が正しいと思い込んで意見を通そうとするのですから、どうしても不毛な議論になりやすいと思います。

最近も「Fラン大学はさっさと潰した方がよい」というような議論がありましたし、Xではよく大学のあり方に関する様々な議論がおこります。ただ、そういう議論がなかなか実りのあるものになっていない主な要因は、議論に参加している人のほとんどが、(自分が経験したことがある)大学の一側面しか把握しておらず、大学業界の全体像を把握している人がほとんどいないからだと思います。


私自身の経験

「大学業界の全体像を把握している人がほとんどいない」ことのもう一つの理由は「現在の『大学』という分類が含むものが広すぎる」、言い換えれば、「全く異なるようなものを同じ『大学』という分類に含めてしまっている」ということだと思います。

私は、学生としては、学部と修士課程を「早稲田大学」(合計7年間)で過ごし、博士課程では「一橋大学」に在籍(4年間)しました。

教員としては、「地方の小規模大学(学生数が1000人程度)、かつ定員割れ大学の関東学園大学」に勤務(9年間)した後に、「学生数が1万5,000人規模の中堅・大規模大学である京都産業大学」に移動し、現在も勤務しています(今年、15年目)。また、研究活動を通じて、旧帝大を含むさまざまな大学の先生方と交流する機会もありました。そのため、自分自身の経験や人づての情報を通じて、さまざまなタイプ・レベルの大学の状況を知る機会は比較的多かったと思います。

たとえば、私自身が身を置いたことのある関東学園大学と一橋大学では、学生の状況(知識、知的能力、関心、将来の進路など)、教育・研究の状況や大学として求められている役割が大きく異なっていました。しかし、現在の分類ではどちらも「大学」です。私はたまたまこの二つの大学に籍を置いたことがありますので(前者は教員として、後者は学生としてですが)、ある程度、二つの大学の状況がわかりますが、世の中にはこの二つの大学とはまた状況が異なる大学が数多く存在しています。二つだけを比べても、その中身は大きく異なります。ましてや、何百とある多様な大学の状況について、正確に把握している人などいるわけがないと思います...

大学をめぐる議論が上手く進まない、あるいはそもそも議論がかみ合わないことが多いのは、このように実態としてはかなり異なるものを、「大学」という一つの分類のもとに押し込めて議論せざるを得ないからではないかと思います...


『応用一般均衡分析入門』の配布場所の移動

これまで、私のホームページ内の 応用一般均衡分析入門 というページで、CGE分析の入門者向け解説文書『応用一般均衡分析入門』(以下、CGE分析入門)を配布していましたが、このたび配布場所を GitHub のレポジトリに移動しました。移動先は以下のとおりです。

私のウェブサイト https://shirotakeda.github.io/ は github.io を利用しているため、CGE分析入門のファイルを更新する際には、更新したファイルを github.io 用のローカルリポジトリにコピーし、そのうえでコミット・プッシュするという手順が必要でした。

これからは、更新後にそのままコミット・プッシュすればよくなるので、管理はかなり楽になりそうです。

この文書も含め、これまで自分のホームページで公開・配布していたものを少しずつ外部のサイトに移してきたため、ホームページの中身はだいぶ減ってきました。研究のシミュレーションで利用したプログラムなども、現在はホームページで配布していますが、できれば GitHub のレポジトリで公開する形に変更したいと思っています。手間のかかる作業なので、なかなか取りかかる気になれないのですが。

それと、CGE分析入門そのものについても、追加したい内容がかなりあるのですが、なかなか作業が進んでいません。もうすぐ1章分くらいは追加できそうではあるものの、実際にいつ公開できるかはまだわかりません。


経済学の論文における著者名の順番について(その3)

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何回もしつこいですが、↑で書いた、「経済学の論文における著者名の順番」の話の続きです。

「その2」で少しふれたのですが、論文の筆頭著者(第一著者)は様々な面で有利になるようです。その大きな理由は単純に筆頭著者は名前が最初に出てくるために目立ちやすく、読者の記憶に残りやすいということだと思います。他の研究で引用される論文は参考文献部分で以下のような形で列挙されますから、やはり2番目以降の著者と比較し、最初に出てくる筆頭著者が目立ちやすいということは当然だと思います。

文献例1

Takeda, S., Arimura, T. H., Sugino, M. (2019) "Labor Market Distortions and Welfare-Decreasing International Emissions Trading," Environmental and Resource Economics, 74(1), pp.271-293, https://doi.org/10.1007/s10640-018-00317-4.

これは特定の研究分野に限らず、一般的に言えることだと思います。

しかし、経済学ではこれに加えて特に筆頭著者を目立ちやすくする慣習があります。それは、経済学では文献を引用する際に、引用部分で「著者名(出版年)」という表現、いわゆる「author-year形式」を利用することが多いということです。これは、例えば以下のような論文を引用するときに、引用部分で「Takeda (2007)」というような表現を使うということです。

文献例2 

Takeda, S. (2007) "The Double Dividend from Carbon Regulations in Japan," Journal of the Japanese and International Economies, 21 (3), pp.336-364, https://doi.org/10.1016/j.jjie.2006.01.002.

本文中では以下のように利用されます。

According to Takeda (2007), the introduction of a carbon tax in Japan could bring about a double dividend.

このauthor-year形式では引用部分で筆頭著者が特に強調されるという効果が生じます。というのは、author-year形式では著者数が3名以上になった場合に、筆頭著者以外を省略してしまうことが多いためです。

これは、例えば、上で挙げた文献例1の場合では、本来ならば「Takeda, Arimura and Sugino (2019)」という表現になるところを、「Takeda et al. (2019)」という表現に省略してしまうということです。つまり、筆頭著者の名前しか表示しなくなってしまいます。

経済学では、このような省略は、論文だけではなく、それをもとにしたプレゼンの資料などでも広くおこなわれていますので、結果的に筆頭著者の名前だけが目立つ形になります。ですので、他の分野と比較し、経済学では筆頭著者が強調されるという効果が特に強くなっていると思います(他のauthor-year形式を利用する分野も同じだと思いますが)。


ちなみに、author-year形式以外の引用形式には、代表的なものとして、1) 番号形式、2) short alpha-numeric形式などがあります。

番号形式とは、以下のように参考文献部分で各文献に番号をふっておき、引用部分で「[3]によれば...」のように番号で引用する形式のことです。

[3] Takeda, S., Arimura, T. H., Sugino, M. (2019) "Labor Market Distortions and Welfare-Decreasing International Emissions Trading," Environmental and Resource Economics, 74(1), pp.271-293, https://doi.org/10.1007/s10640-018-00317-4.

これは理系の多くの分野で使われているようです(経済学の雑誌でも少ないですが、利用されていると思います)。


short alpha-numeric形式は、American Mathematical Society(AMS) が推奨している引用形式で、著者名の頭文字と出版年を組み合わせた文字列を作成し、それで引用するというものです("short alpha-numeric"形式というのはAMSの呼び方です。詳しくは → https://www.ams.org/publications/authors/AMS-StyleGuide-online.pdf)。

このshort alpha-numeric形式の場合、例えば文献例1は引用部分で [TAS19] という表記になります(3人の頭文字+出版年の下二桁の数字)。

According to [TAS19], the introduction of a carbon tax in Japan could bring about a double dividend.

これはAMSが推奨していることからわかるように、数学などの分野でよく使われるようです。

以上の二つの引用形式では、引用部分において筆頭著者が特に強調されるという効果はないと思います。

以上のように、経済学では引用部分で筆頭著者が強調される(その結果、筆頭著者が有利になる)仕組みを利用しているのですから、「たまたま名前の頭文字が若い文字である人が筆頭著者になるアルファベット順」ではなく、貢献度順などの著者順を使うのがいいのではないかと思いますが、前回のポストでも書いたように、なぜか経済学ではアルファベット順が多用されています。

「それが慣習(慣行)だから」という説明をする人もいますが、従わないからといって大きな問題が生じるような慣習ではないですから、素直に慣習に従う理由がわかりません。

一つ考えられる理由は、著者間でもめることを避けるためでしょうか。

例えば、貢献度順にするのなら、論文における貢献度の序列をつける必要があります。貢献度に大きな差があるときにはいいでしょうが、それほど差がないときには序列をつけるときに意見が食い違い、揉めるかもしれません。たとえば、AとBという二人の著者がいて、Aは「Bと同じくらい貢献した」と思っていても、Bは「自分の方がやや多く貢献した」と思うかもしれません。貢献度を測る客観的な基準があるわけではないので、判断が難しいこともでてくると思います。そんなときには、「アルファベット順が慣行ですから、それに従いましょう」とすれば、揉めることなくスムーズに著者順を決められるかもしれません。

ただ、貢献度の判断が簡単なときでも「慣行だから」としてアルファベット順にしている人もいるので(例えば、このケース )、「揉めないため」という理由だけでもないようです。

別にどうでもいいことだと言われればそうなのですが、筆頭著者が注目される仕組みが明らかに存在するのに、なぜ経済学ではあえてアルファベット順に従う傾向が強いのかずっと不思議に思っています。

大学の情報公開(その2)

shiro-takeda.hateblo.jp

前回の↑の続きです。

大学の実情をより正確に把握するには、一時点の数値だけではなく、ある程度長期間にわたるデータを見る必要がありますが、実際には多くの大学が最新のデータしか公開しておらず、過去の情報は確認できないのが現状...というところまで書きました。

通常であれば、そうなのですが、私はノートルダム関東学園大学も、情報公開が義務化された頃(つまり今から10年ちょっと前)からのデータを持っています。

なぜかというと、私は以前からさまざまな大学の「学生確保の状況」に興味があったので、気になる大学のホームページをときどきチェックしては、公開されているファイルを保存していたからです(そんな物好きなことをする人はあまりいないと思いますが)。

京都ノートルダム女子大学

私の持っているノートルダムのデータ(2012年~2024年)をもとに作成したのが下グラフです。

なお、2013年のデータだけは私がチェックし忘れていたため、グラフには含まれていません。

グラフを見るとわかるように、2012年以降で入学定員充足率が100%を超えたのは2018年の1回だけです。この年から入学者数が増加しているのは、当時実施された「大規模大学の定員厳格化」の影響が大きかったのではないかと思います(これは、大規模大学が過剰に学生を集めることを制限する政策で、地方の中小規模大学にとっては追い風となりったようです)。

また、ノートルダムでは2017年に一度入学定員を引き下げており、その翌年の2018年から入学者数が増加したこともあって、2017年から2020年にかけては入学定員充足率が大きく改善しました。特に2020年には、100%を超える水準にまで回復しています。

しかし、残念ながらそれは長続せず、2021年以降、再び入学者数が急激に減少し、入学定員充足率も大きく落ち込んでいきます。ただ、2024年に再び定員の引き下げが行われた結果、定員充足率はやや改善しています。

入学定員充足率だけを考えるのなら、入学定員をもっと削減すれば(一時的には)改善するかもしれませんが、そうするとどんどん規模を縮小することになり、結局は事態を改善することにはいたらないということで、募集停止という判断になったのかもしれません。

次は収容定員に関するデータをグラフにしたものです。

先に紹介した入学定員のグラフと比べると、収容定員の変化は全体的に緩やかです。だんだん収容定員は減少していますが、2021年以降は収容定員充足率は低下しています。

2024年は入学定員充足率は上昇しましたが、収容定員充足率は低下しています。入学定員充足率が上昇したのは上述のように入学定員を削減したことが主な理由です。収容定員充足率が低下したのは、2024年の入学者はあまり減らなかったが、2020年に比較的多く入学していた学生たちが一斉に卒業し、その影響で在学生数全体が大きく減ることになったためのようです。一時期は状況が改善していましたが、それはあくまで一時的なもので、10年前と比較すると状況は悪化していることがわかります。

なお、ノートルダムが学生募集の停止を決定した際には、ニュースでも大きく報じられました。それらのニュースの多くでは「近年、入学者の定員割れが続いていた」というような言及がありました。例えば、京都新聞の記事には次のような説明があります。

「同大学を運営する学校法人ノートルダム女学院は募集停止の理由について、急速な少子化による18歳人口の減少などにより、近年は入学者数が定員を下回る状況が続いていたと説明する。」

大学側がそう説明したのでしょうが、上のデータを見ればわかるように「近年」だけではなく、「少なくとも2012年から10年以上」定員割れが続いています。本当に深刻な状態になったのは確かに近年かもしれませんが、思う通りに学生確保ができていなかったのはずっと前からのようです。

関東学園大学

次に紹介するのは、関東学園大学の2013年から2025年までのデータをもとに作成したグラフです。

グラフを見ると、2016年に入学定員充足率が大きく改善していますが、これはその年に入学定員を大幅に削減した(350人から190人に46%も削減した)ためだということがわかります。ですので、この充足率の改善は、要因の性質からしてもあまり望ましいものではないです。 さらに問題なのは、2016年に入学定員を大幅に削減したにもかかわらず、その後、入学者数も大幅に減少してしまったので、2018年には入学定員充足率は元の50%台に戻ってしまっているということです。 その後は、入学者数は増えたり減ったりで、ノートルダムのようにどんどん悪化するという傾向は見せていませんが、入学定員充足率が低い水準のまま低空飛行しているような状況です。

続いて収容定員、学生数のデータのグラフがこれです。収容定員充足率の方も収容定員削減の効果もあり一時的には70%台まで改善しましたが、徐々に悪化しています。すぐに大きく悪化するということはないかもしれませんが、今後、少子化がどんどん進みますから、このままではいずれもっと厳しい状況になりそうです。

関東学園大学の場合、収容定員充足率に限って言えば、ノートルダムとは異なり10年前よりも(若干ですが)改善しています。しかし、この改善は定員を大幅に削減したことが主な要因ですから、やはり本当の意味で改善しているとは言えないです。

そもそも、関東学園大学は2013年には収容定員を1,400人とし、833人の学生がいたのに対し、12年後の2025年には461人まで学生数が減ってしまっている(45%の減少)のですから、長期的には状況が大きく悪化しているということは明らかだと思います。

以上のように、大学の実情を正しく評価するには、やはりある程度長期のデータを見ないとわからないことが多くあります。できれば各大学が古いデータも継続して公開してくれているといいのでしょうが、実際にはそうしたデータはあまり残されていません。悪い状況を表わすようなデータを好き好んでずっと公開する必要もないので、多くの大学は古いデータは非公開にしているのだと思います。そんなデータを必要とする人もいないでしょうし...

大学ポートレイト

これまで3つの大学の教育情報のデータを見てきましたが、いちいち大学のホームページに行かないと調べられないのは面倒です。しかも、公開されているとはいっても、その形式や記載内容は大学ごとに微妙に異なっているため、大学間で比較したい場合には、自分でデータを整形したり計算し直したりしなければなりません。たとえば、京都産業大学では「定員充足率」の数値自体は掲載されておらず、「定員」と「学生数」から自分で計算する必要があります。

そんなときに便利なのが、「大学ポートレート(私学版)」 というウェブサイトです。これは「日本私立学校振興・共済事業団」が運営しているもので、全国の私立大学の教育情報がまとめて掲載されています。

このサイトを使えば、いちいち各大学のページにアクセスしなくても、ひとつの場所で多くの大学の情報を調べることができます。ちょっとした確認や比較をしたいときには、非常に便利なサイトです。ただ、一つ問題があって、それはこのサイトでは過去3年分の情報しか提供されていないという点です。ですので、長期的なデータは入手できません。3年分に限定せずに、もっと長い期間のデータを公表してくれればよいのですが...


まとめ

いずれにせよ、現在は大学に関する客観的な情報を誰でも入手できるようになっていますので、大学を選ぶ際には、(いいことばかり書いてあるパンフレットや公式サイトなどだけではなく)大学の教育情報をチェックするのがいいと思います。実際、ノートルダムが学生募集の停止を発表したとき、在学生がインタビューで「募集停止と聞いて、びっくりした」というようなことを言っていましたが、事前に定員、学生数の状況を知っていれば、それほど驚きはしなかっただろうなと思います...

大学の情報公開(その1)

大学の情報公開

少子化の進展により、日本の大学では学生を確保することが難しくなってきています。その結果、「○○大学は学生集めに苦戦している」、「○○大学は定員割れしている」、「○○大学の経営が危ない」といった話を耳にする機会が増えてきました。

こうした大学の学生確保、経営状況に関する話題は、以前であればあくまで「噂」にとどまり、その真偽がはっきりしないことも多かったと思います。しかし現在では、大学には学生数などの情報を公開する義務があるため、誰でも正確なデータに基づいて大学の状況を確認することができるようになっています。

私は専門家ではないので詳しいことは分かりませんが、2011年(平成23年)4月1日に施行された学校教育法の改正により、「学校教育法施行規則第172条の2」という項目が新たに追加されたそうです。

この条文では、大学に対してさまざまな教育・研究活動に関する情報を公表することが義務付けられています。具体的には、以下のような項目が挙げられています(出典:https://eic.obunsha.co.jp/resource/topics/1006/0603.pdf)。

  • 学校教育法施行規則
    • 第172条の2
    • 大学は、次に掲げる教育研究活動等の状況についての情報を公表するものとする。
    • 1 大学の教育研究上の目的に関すること
    • 2 教育研究上の基本組織に関すること
    • 3 教員組織、教員の数並びに各教員が有する学位及び業績に関すること
    • 4 入学者に関する受入方針及び入学者の数、収容定員及び在学する学生の数、卒業又は修了した者の数並びに進学者数及び就職者数その他進学及び就職等の状況に関すること
    • 5 授業科目、授業の方法及び内容並びに年間の授業の計画に関すること
    • 6 学修の成果に係る評価及び卒業又は修了の認定に当たつての基準に関すること
    • 7 校地、校舎等の施設及び設備その他の学生の教育研究環境に関すること
    • 8 授業料、入学料その他の大学が徴収する費用に関すること
    • 9 大学が行う学生の修学、進路選択及び心身の健康等に係る支援に関すること

このように、大学は多岐にわたる情報を公開しなければならないことになりました。その中には、「入学者数」、「収容定員」、「在学生数」といった数値も含まれています。つまり、大学が何人の学生を受け入れるつもりで、実際に何人入学して、今何人が在学しているのかという数値です。

これらの数値を見れば、その大学が定員割れしているのか、入学者がきちんと確保できているのか、といった点を客観的に判断することができます。以前のように、大学の経営状態について「噂」に頼るしかなかった時代とは違い、今では正確な情報に基づいて大学の状況を知ることが可能になっています。

上述のような情報をネットで公開する義務があるのかよくわかりませんが、多くの大学は公式ホームページで公開しています。 一般的なパターンとしては、「大学のホームページ」→ 「大学案内 or 大学紹介 or 大学概要などのページ」 → 「情報公開 or 教育情報のページ」に揭載されれていることが多いと思います(ページの名前は大学によってまちまちです)。

京都産業大学

たとえば、私が勤務している京都産業大学京産大)の場合は、 「大学のトップページ」「大学紹介」のページ「教育情報」のページ に揭載されています。

毎年、5月1日時点での情報を公開するのがルールのようなので、だいたい6月くらいにその年度の情報が公開されることが多いようです。 京産大の場合、2025年度の情報はまだ公表されておらず、現在確認できるのは2024年度の情報です。 以下のような情報が公開されています。

  • 入学者数
  • 入学者数の推移
  • 収容定員と在学生数
  • 出身高校の都道府県別在籍者数
  • 社会人学生数
  • 卒業者数(学位授与数)とその推移
  • 卒業後の進路(進学・就職者数)
  • 修業年限内の卒業率
  • 中途退学者数・除籍者数
  • 留年者数
  • 履修者数規模別授業数
  • 留学・海外実習等の参加者数

この中でも、特に大学の「学生確保の状況」を把握するうえで重要なのは、「入学者数」、「収容定員」、「在学生数」といった数値です。これらの数値をまとめたものが次の表です。

学部 入学定員(A) 入学者(B) 比率(B/A、%) 収容定員(C) 在学生数(D) 比率(D/C、%)
経済学部 625 659 105.4 2530 2612 103.2
大学全体 3730 3753 105.4 15010 15487 103.2

ここで「比率(B/A)」は、入学定員に対して実際にどれだけの学生が入学したかを示す入学定員充足率を表しています。また、「比率(D/C)」は、収容定員に対する在学生数の割合、すなわち収容定員充足率です。

私が所属する経済学部では、「入学定員充足率」も「収容定員充足率」も、いずれも100%を超えています。これは、定員として設定されている学生数を上回る入学者や在学生がいることを意味しており、学生確保の面では順調だといえます。

他の学部では、一部に100%を下回っているところもありますが、多くはほぼ100%に近い数値となっており、大学全体として見ても、定員充足率は100%を上回っています。

このように、定員充足率が100%前後で推移しているのであれば、その大学は想定された人数に近い学生を確保できているということで、基本的には学生確保がうまくいっていると判断してよいでしょう。逆に、定員充足率が大きく100%を下回っている場合には、予定していた学生数を大きく下回る状況にあり、学生の確保に課題を抱えているということになると思います。

[注]定員充足率が高ければいいというわけではないです。大きく定員オーバーしてしまう(つまり、定員充足率が100%を大きく越えてしまう)と逆にペナルティがあります(確か、私学助成金が減額されるというようなものです)。

京都ノートルダム女子大学

最近、京都ノートルダム女子大学(以下、ノートルダム)が、学生募集を停止と閉学を決定したというニュースが報じられました。ノートルダムは京都の下鴨(京都の盆地の北の方)にある4年制の女子大学です。地下鉄の松ヶ崎駅の近くで、便利な場所にあります。私もよく横を通ります。試しに、このノートルダムの学生数の状況を確認してみたいと思います。

ノートルダムの場合は、 京都ノートルダム女子大学大学について教育情報の公表とたどると情報公開されています。 二つ学部がありますが、それぞれ次のような状況になっています。

学部 入学定員(A) 入学者(B) 比率(B/A、%) 収容定員(C) 在学生数(D) 比率(D/C、%)
国際言語文化学部 90 46 51.1 485 249 51.3
現代人間学部 240 124 51.7 960 602 62.7
大学全体 330 186 56.4 1445 881 61.0

この表からもわかるように、両学部とも入学定員充足率は50%程度にとどまっており、収容定員充足率も60%前後と、かなり低い水準にあります。大学として想定していた人数を大きく下回っている状況です。

このように、昨年度の時点ですでに学生数の確保が極めて厳しい状態にあり、さらに今後の改善も難しいと判断されたことが、学生募集の停止と閉学の決定につながったのだと思われます。

ノートルダムほど深刻な状況ではないにせよ、定員の確保に苦労している大学は現在では珍しくないと思います。

関東学園大学

もう一つ参考として、私が以前勤務していた「関東学園大学」という群馬県の私立大学の数値を見てみたいと思います。関東学園大学を知っている人は地元(群馬県)の人間以外ではほとんどいないと思います。群馬県太田市にある私立大学で、現在は経済学部(経済学科と経営学科の2学科)のみの非常に小さい大学です。東京から行くとすると、浅草から東武伊勢崎線に乗ります。太田市はスバルの工場がある街で、結構栄えています。私は2003年~2011年にいました。

関東学園大学の場合、関東学園大学のページ → 大学概要 → 公表情報 で情報公開されており、以下のような数値になっています(関東学園大学は既に2025年度の値を公開していますので、この数値は2025年5月1日時点での値です)。

学部 入学定員(A) 入学者(B) 比率(B/A、%) 収容定員(C) 在学生数(D) 比率(D/C、%)
経済学部 190 124 65.3 760 461 60.7

関東学園大学は経済学部のみの単科大学なので、「経済学部の状況=大学全体の状況」になります。表からわかるように、入学定員充足率が65.3%、収容定員充足率は60.7%と、いずれも100%を大きく下回っており、ノートルダムほど深刻ではないにしても、学生確保の面では非常に厳しい状況にあることがわかります。

データの制限

ここまで、京産大ノートルダム、そして、関東学園大学の3つの大学について、定員や在学生数などの数値を見ましたが、どれも一時点の値です(京産大ノートルダムは2024年、関東学園大学は2025年の値)。しかし、一時点の数値だけは大学の実情が正確には判断できないケースがあります。

たとえば、よくあるパターンとしては、「定員充足率が非常に低かったが、定員を大幅に減らしたことで、定員充足率(特に、入学定員充足率)がかなり改善した」というようなケースです。 このような場合、確かに定員充足率は問題ない値となるかもしれませんが、元々の定員を大幅に削減し、大学の規模を縮小した結果ですので、長期的な視点からはむしろ状況は悪化したとも言えると思います。

このような、定員の変更の影響も含めた動向を見るには、一時点のデータだけを見るのではなく、複数年に渡るデータを見る必要があります。しかし、ここで問題となるのは、多くの大学が過去のデータを十分に公開していないという点です。入学者数など一部の数値を除けば、最新のデータしか見られない大学が多く、新しい年度の情報が公開されると、古いデータは削除されてしまうケースが少なくありません。実際、今回取り上げたノートルダム関東学園大学についても、入学者数以外のデータは最新のものしか公開されていませんでした。


まだまだ続くので、今回はここまでにします。続きはまた今度。


続きを書きました↓

shiro-takeda.hateblo.jp

経済学の論文における著者名の順番について(その2)

shiro-takeda.hateblo.jp

一つ前の↑のブログ記事で、「経済学の論文における著者名の順番はアルファベット順が普通 or 慣行」という主張がX上で数多く見られることに対して、それは不正確ではないかということを書きました。

その際に紹介したいくつかのXのポストは、経済学者の成田悠輔氏に関連したものでした。元々は、成田氏を批判している人々が「成田氏は筆頭著者になっている論文がない。これは、研究において重要な貢献をしているものがないということなので、論文を発表しているとはいえ、大した研究業績や研究能力はない」と言ったことに対し、経済学者(や経済学の事情に詳しい人たち)が、「経済学では著者名の順番はアルファベット順にするのが慣行であり、筆頭著者でないことが重要な役割を果たしていないことを意味するわけではない」と反論したということのようです。

私の前回のブログ記事では、反論中の「経済学では著者名はアルファベット順が普通(または慣行)」という主張が不正確ではという話をしました。つまり、成田氏を擁護する反論の中にやや不正確な根拠が含まれているのではということなのですが、成田氏が共著者と執筆したEconometricaに揭載された論文の著者名の順序は、明らかにアルファベット順ですから、「成田氏は筆頭著者ではないから、研究業績が乏しい」という当初の批判が的外れであるという点については、私も同意見です。

私もそうですが、多くの経済学者は「成田氏がEconometricaに論文を掲載している」ということから、非常に優れた研究業績を持つ人物とみなすのではないかと思います。というのも、Econometrica は経済学におけるトップジャーナルの一つで、それに論文を載せるのは非常に難しいですから。

ただ、改めてよく考えてみると、複数の著者による論文の場合、たとえ Econometrica に掲載されたとしても、その人の研究能力が高いと単純に評価することはできないとも思います。なぜなら、その研究におけるその人の貢献度がどのくらいか、正確なことがわからないので...

Econometricaに論文を揭載していて、かつその論文におけるその人の貢献度が高いのであれば、高い研究能力を持っていると評価できるでしょうが、仮にその人が補助的な役割しかしておらず、貢献度が非常に低いのであれば、その人の研究能力が高いと判断するのは難しいと思います。

仮に著者名が貢献度順に並んでおり、成田氏が筆頭著者になっているのであれば、研究における貢献が大きいと判断しやくなります。しかし、アルファベット順で並んでいる限り、貢献度の実情を外部から判断するのは困難です

ですので、「筆頭著者の論文がないから、たいした研究業績・研究能力がない」という批判は的外れですが、かといって「Econometricaに論文を揭載しているから優秀な研究者」とも言えないと思います。

これは別に成田氏に限った話ではなく、共著論文の著者の能力を評価する際に一般的に生じる問題だと思います。つまり、共著論文における個々の著者の貢献度が明確でない場合、その論文が著名なジャーナルに掲載されていたとしても、その研究者の能力を正確に判断するのは難しいということです。これはよくある話ですよね。

最近は経済学でも共同研究が当たり前になってきて、単著の論文が少なくなってきているので、判断に迷うようなケースが増えてきたと思います。特に、昔(少なくとも私が大学院生だった90年代後半~2000年代前半)は大学院生が指導教員と一緒に論文を書くというようなことはあまりなかったのですが、最近では大学院生と指導教員の共同論文が増えているようですので、大学院生の研究能力を評価するのがちょっとややこしくなってきているように思います(経済学でも共同研究が増えること自体はむしろいいことだと思いますし、大学院生のレベルも昔よりもずっと上がっていると思いますが)。


ちなみに私自身も、これまでに何本か共著論文を書いてきましたが、その中には自分の貢献度が10%にも満たないようなものもあります。他の人はどうかわかりませんが、私と同じようなケースが多ければ、複数の著者で書かれた論文における個々の著者の評価は難しいと思います。

経済学の論文における著者名の順番について(その1)

2025年6月10日追記: 続きを書きました。

Xを見ていたところ、次のようなポストがありました。

「経済学ってアルファベット順に著者を並べる文化で、ファーストオーサーみたいな風習がないんです」と書かれています。私も経済学(の一分野)を専門にしているため、経済学では論文の著者名がアルファベット順で並べられることが多いということは知っています。しかし、私自身の論文も含め、アルファベット順ではない並び方を採用している論文も少なくないという印象を持っていたので、「経済学ではアルファベット順が文化」というような主張を見て、「そうなの?」と少し驚きました。

試しにXで「経済学 アルファベット順」と検索してみると、同様の主張をしている投稿が多数見つかりました。以下はその一部です。

これらのポストには以下のようなことが書かれています。

  • 「経済学で第二著者、第三著者とかないからw」
  • 「経済学では著者名はアルファベット順に並べる慣行で、第一著者であるか否かはほとんど意味がないです。」
  • 「経済学では『筆頭著者を重視』という考え方はない。共著はアルファベット順に名前を並べるのが普通。」
  • 「経済学で著者がほぼアルファベット順に並んでる」
  • 「著者順は経済学の慣行に沿ってアルファベット順」
  • 「経済では著者はアルファベット順って知らないのかな。」
  • 「経済学も特別の事情がない限り基本はアルファベット順なので」

これらに従えば、「経済学では著者名はアルファベット順に並べるのが慣行であり、したがって筆頭著者(first author)が特に多く貢献したとは限らない」ということになると思います。特に後半の4つは経済学が専門の方々による投稿のようで、経済学者自身にもこのような認識が広く共有されているようです。

前述の通り、私自身もアルファベット順以外の著者順(具体的には貢献度順)を利用しており、同様の論文も少なからず存在すると考えていたため、「経済学ではアルファベット順が慣行 or 普通」といった主張には、少し違和感を覚えました。

といっても、私が経済学全体の実情を把握しているわけではないので、この点について少し調べてみました。私の専門は環境経済学で、Journal of Environmental Economics and Management(JEEM)や Energy Economics 等の雑誌をよく参照しています(どちらも環境、エネルギー関連の経済学では有名なジャーナルです)。そこでまずこれらの雑誌での著者名の順番の傾向を見てました。例えば、Energy Economicsの以下の最近の二つのvolumeでは

  • Vol. 146:複数著者がいる論文31本中19本が非アルファベット順
  • Vol. 130:同様に44本中30本が非アルファベット順

というような状況でした。また、JEEMでは以下のような状況でした。

Energy Economics ではむしろ非アルファベット順が多数派であり、JEEM においてもそれなりの割合を占めていますので、少なくともこれらの雑誌では「アルファベット順が普通 or 慣行」ではないということがわかります。

ただし、これらは環境経済・エネルギー分野のフィールド雑誌であり、経済学全般の傾向を表すわけではありません。それでは、経済学全般ではどうなっているかというと、それを示すデータが、Ray and Robson (2018)という論文に掲載されています。

Ray & Robson (2018-02-01) "Certified Random: A New Order for Coauthorship", American Economic Review, 108 (2), 489-520.

この論文では、1969年から2013年にかけての69の主要な経済学ジャーナルに掲載された論文データに基づき、著者順の傾向が分析されています。

  • 著者が2人の論文:非アルファベット順の割合 約16%
  • 著者が3人の論文:約27%
  • 著者が4人の論文:約38%
  • 著者が5人の論文:約52%

著者数が2人の論文が全体の約73%を占めていることから、論文全体で見るとアルファベット順が多数派であることは事実です。しかし、著者数が増えるほど非アルファベット順の割合が増加する傾向にあり、著者数が3人以上の場合には非アルファベット順もかなりの割合を占めています。

このように過去の論文でも非アルファベット順がそれなりに利用されていることに加え、近年、実証研究の増加に伴って共著者数も増える傾向があることから、今後さらに非アルファベット順の割合は高まっていくと思います。

経済学の中でも、特に理論系の論文やトップジャーナルではアルファベット順が強く根付いている傾向があるため、 「経済学ではアルファベット順が普通 or 慣行」 といった印象が強いのかもしれません。しかし、上記のデータが示すように、様々な分野を含めた経済学全体としては非アルファベット順もかなり利用されています(そして、その傾向は今後さらに高まると考えられる)ので、「経済学ではアルファベット順が普通(or 慣行 or 文化)」と断定するのは現在では不正確だと思います


著者名の順番に厳密なルールがあるわけではなく、基本的には共著者間の合意に基づいて好きなように決めればいいことですが、著者名の順番によって評価や認知度が変わることが実証的に示されていますので(上記の Ray and Robson, 2018 でもその点が論じられています)、単純に貢献度順するのが無難じゃないかなあと個人的には思います。実際、理系の多くの分野ではそれが慣行になっているようですし。


そもそも、なぜ経済学ではアルファベット順が多いんでしょうかね。貢献度の序列を明確にしづらい場合や全員が等しく貢献しているような場合もあるでしょうが、そのようなときでも、「たまたま姓の頭文字が若い文字である人が有利になるアルファベット順」ではなく、サイコロを振る、じゃんけんで決める(あるいは Ray and Robison, 2018が提案するような方法)で決めればすむように思いますが...「アルファベット順が慣行」ということにしてしまえば、ややこしいことが一切なくなって楽ということでしょうか?


ちなみに、物理学でもアルファベット順がよく利用されるようですが、物理学では

のように著者数が1000人を超えるような場合があるようで、確かにこうなると貢献度順にするのは難しいですね...

レッツノート(Let's note)の頑丈さ

私は普段、ノートパソコンにはPanasonicの「レッツノート(Let's note)」を使用しています。一般的にレッツノートは丈夫だとよく言われていますが、私自身も、MacBookなどと比べると、いかにも頑丈そうで、多少落としても大丈夫そうだという印象を持っていました。

とはいえ、これまではその「丈夫さ」を実感するような場面はありませんでした。が、先日、思いがけずレッツノートを落としてしまうことがありました。いつも私は、リュックの背中側のポケットにこのノートパソコンを入れて持ち歩いていますが、そのときは、リュックを背負おうとした際にチャックを閉め忘れていたため、レッツノートがポケットから飛び出してしまい、勢いよく地面のコンクリートに「がしゃん」と大きな音を立てて落下してしまいました。

かなり大きい音がしたので「これは壊れただろう...」と思いました。実際に見てみると、右側手前の角の部分のプラスチックが欠けて穴が開いており、ボディも少し歪んでしまいました。

レッツノート

幸い、ノートパソコンは閉じた状態だったため液晶は無事でした。ただ、内部も壊れて動かないかもしれないと思いながら電源を入れてみたところ、正常に動作しました。

欠けた部分には補修用のテープを貼ってふさいでいます。テープを貼った影響で、DVDドライブとUSBポートの一つが使えなくなってしまいましたが、元々DVDドライブはほとんど使っていませんし、USBポートは合計3つもあり問題ないです。他には特に支障なく、これまで通りに使えています。他のノートパソコンであれば、あれほど激しく落下したら壊れて使えなくなっていたんじゃないかと思います。

レッツノートが「丈夫だ」という話は以前から知ってはいましたが、正直それほど意味があるとは思っていませんでした。しかし、今回の経験を通じて、その「丈夫さ」というメリットのありがたさを実感することができました。

MODX + markdown + ChatGPT

私は自分のホームページ(https://shirotakeda.github.io/)を作成するために、MODX 日本公式サイトで提供されているMODXというCMSを利用しています。

GitHub Pages(github.io)は静的なページしか利用できないため、ローカル環境でMODXを使って静的ページを生成し、それをgithub.ioにアップロードするという方法を取っています。

MODXには「Revolution」と「Evolution」という二つのバージョンがありますが、私は「Evolution」を利用しています。MODX Evolutionはすでに開発がほとんど進んでいない状態ですが、他のCMSに移行するのも面倒なため、そのまま使い続けています。新機能の追加はほぼありませんが、新しいPHPへの対応など最低限の更新は行われています。

機能的には特に不満はなかったのですが、一つだけ不便に感じていたのは、Markdown形式でコンテンツを記述できない点でした。誰かがそのようなプラグインを作成していればよかったのですが、調べた限りそういったものは存在しませんでした。

とはいえ、自分で作成するには知識や技術が足りず、ほとんど諦めていたのですが、ChatGPTの力を借りて、自分で実装することができました。

自分で「実装した」といっても、以下の既存のツールを組み合わせただけです:

具体的な手順は以下の通りです:

  1. まず、ChatGPTに「MODX EvolutionでMarkdownエディタを使ってコンテンツを記述したい」と相談する。
  2. ChatGPTが「こうすればよい」と回答してくる。
  3. その提案に基づいて実行してみる。
  4. たいてい、最初はうまく動作しない。
  5. 上手くいかない状況(表示結果やエラーメッセージなど)をChatGPTに説明し、場合によってはスクリーンショットを添付して相談する。
  6. ChatGPTが原因を推測し、修正案を提示してくる。
  7. そこで再度試してみる(3に戻る)。
  8. 簡単には上手くいかないが、根気よく繰り返すうちに最終的にはうまく動作するようになる。

以上のようなプロセスで実装しました。

おそらく30回くらい修正を繰り返し、合計で1時間半ほどかかりました。人間相手に相談していたら途中で諦めていたかもしれませんが、ChatGPTの場合は何度質問しても根気よく「こうしろ、ああしろ」と答えてくれるため、何とか動くまでつくることができました。

もちろん、本当は詳しい人に直接聞くのが一番よいのかもしれませんが、そうした人がいつも身近にいるわけではありませんし、いたとしても気軽に何度も教えてもらえるとは限りません。その点、「うまくいかないので教えて」と遠慮なく、何度でも聞けるChatGPTは本当に便利です。ChatGPTがなければ、自分一人ではとても実現できなかったと思います。