序数的効用と基数的効用

著名な日本の経済学者である神取道宏先生が執筆している『ミクロ経済学の力』というミクロ経済学のテキストがあります。

それなりに高いレベルの内容を扱っているにもかかわらず、実例も豊富で、非常にわかりやくすいと言われていて、実際、リンク先のアマゾンのページを見てもらえばわかるように評価も非常に高いです。ミクロ経済学の勉強をしたい人には非常によい本だと私も思います。

ただ、説明がおかしいと思う点が一つあります。それは「効用」の性質についての説明の部分です。もう少し具体的に言うと、「基数的効用」と「序数的効用」についての説明に矛盾しているところがあると思います。

ミクロ経済学のテキストによく出てくることですが、「効用」という概念については「基数的効用」と「序数的効用」という二つの考え方があります。

  • 基数的効用(cardinal utility) → 効用の水準に意味があるという考え方
  • 序数的効用(ordinal utility) → 効用は大小関係にのみ意味があるという考え方

この二つの考え方に対して、『ミクロ経済学の力』の第1章(p.16)では次のような説明をしています。ちょっと長いですが引用します。

重要なのは効用の大小であり、効用の絶対的な大きさには意味がありません。

u(ウーロン茶) = 2,
u(ビール) = 1

であると経済学者がいうとき、これが意味するのは、ウーロン茶の満足度はビールの満足度の2倍であるということではなく、単にウーロン茶のほうがビールよりも好きだということなのです。別に

u(ウーロン茶) = 1000000000000,
u(ビール) = 1

としてもよいわけです。注意してほしいのは、「満足度の大きさ」は、温度や物価水準のように客観的に計ることは不可能だが、「どちらが好きか」という選好≿は調べることができるということです(ウーロン茶とビールのどちらが好きか聞けばよい。あるいは、実際に二つのうちどちらを選ぶかを見ればよい)。このように、効用を、(原理的には測定できる)人々の好み≿を表わす便利な工夫とみなす考えを「序数的効用理論」といい、現代の経済学はこの考えに従っています。

これに対し、19世紀の経済学では効用を「満足度の大きさ」と考え、その大小関係だけでなく本来は測定できないはずの絶対的な大きさにも意味があると考えていました。こうした、今では過去のものとなった考え方を「基数的効用理論」といいます。

効用というものは大小関係しか意味がないと説明していますので、序数的な解釈は意味があるが、基数的な解釈は意味がないという主張になります。この考え方自体は別におかしいわけではありませんが、仮に基数的な解釈は意味がない(序数的な解釈しか意味がない)とすると、「期待効用(expected utility)」や「生涯効用(lifetime utility)」といった概念を使えなくなってしまいます。というのは、期待効用も生涯効用も効用の荷重和(期待効用の場合は各状態で実現する効用の荷重和、生涯効用の場合は各時点で実現する効用の荷重和)として定義されるものであり、基数的な効用を前提としているからです。

それでは『ミクロ経済学の力』では「期待効用」や「生涯効用」という概念は使っていないかというと、もちろんそんなことはなくて、第6章の不確実性を扱う部分で当然「期待効用」が出てきます。これは第1章での説明と明らかに矛盾していると思います。

この点については、神取先生ご本人も整合的ではないと考えているのか、第6章の注(コメント6.4)で、「ある人の好み(選好)を表す効用」は期待効用モデルで使われる「危険に対する態度を表す効用」とはちょっと違うものだというような説明をしています。ただ、この説明は私にはよくわかりません。期待効用モデルで使われる「効用」を普通の「効用」と区別する理由がわからないです。期待効用モデルで使われる効用は所得の関数としての効用で、普通の効用は財の消費量などの関数としての効用という区別をしているのかもしれませんが、財の消費からの効用の期待効用を考えることも普通にあると思いますし。

第1章と第6章の説明、内容が矛盾していることは置いておくとしても、『このように、効用を、(原理的には測定できる)人々の好み≿を表わす便利な工夫とみなす考えを「序数的効用理論」といい、現代の経済学はこの考えに従っています』という説明や『19世紀の経済学では効用を「満足度の大きさ」と考え、その大小関係だけでなく本来は測定できないはずの絶対的な大きさにも意味があると考えていました。こうした、今では過去のものとなった考え方を「基数的効用理論」といいます』という説明は言い過ぎではないかと思います。基数的な解釈は過去の古い考え方と説明していますが、基数的な解釈を前提とする「期待効用」や「生涯効用」などの概念は経済学の多くの分野(特に、不確実性を扱う分野、マクロ経済学など)で現在でも多用されていますから。

ミクロ経済学の力』は非常に良いテキストだなと思いますが、この部分についてはちょっとおかしいんじゃないかと思っています。

ついでに、他のテキストではどんな説明がされているのかも紹介しておきたいと思います。まず、これもミクロ経済学のテキストとして非常に有名な、武隈愼一先生のミクロ経済学では次のような説明をしています(p.31)

武隈愼一、『新版ミクロ経済学』、2016、新世社、新経済学ライブラリ.

以下の節における消費者の行動の説明には効用の基数的性質は不要である。なぜなら、消費者が任意の二つの消費計画を比較し、どちらを選好するか、あるいはそれらは無差別であるかは無差別曲線の形状だけに依存し、効用の絶対水準には依存しないからである。しかしながら、8章で扱う保険や資産選択のような不確実性が存在する場合には効用の基数的性質が重要となる。

通常の消費者の理論の部分では基数的な解釈は必要はないが、不確実性を考慮する場合、つまり期待効用を考える場合には基数的な解釈が必要と説明されています。

また、これも有名な奥野正寛先生のテキストでは次のように説明しています(p.33)。

奥野正寛、『ミクロ経済学』、東京大学出版会、2008.

また、ここで定義された効用は、序数効用(ordinal utility)である.つまり、効用の値は,「二つの消費計画の間で、どちらの方が効用の値が多きいか、あるいは等しいか」という点だけで意味を持ち、それ以外の意味はない。

基数効用とは、効用の差がきちんと定義されるような効用のことである。

同じ効用関数でも、不確実性のある場合に定義されるノイマン・モルゲンシュテルン効用関数は、基数効用である。これに対してここで定義した効用関数は、序数効用であり、効用の差はそれが正か負かということだけ意味があり、その値には意味がない。

やはり、期待効用を考えるときには基数的な解釈が必要という説明をしています。

私自身も後者の2冊のような説明、つまり、消費者の理論を考えるときには基数的な解釈は必要ではないが、期待効用(や生涯効用)を考えるときには基数的な効用が必要になるよという説明がしっくりきます。基数的な解釈については「効用の水準なんて測れるのか?」という疑問がありますが、現在でもいろんな分野で基数的な解釈が利用されているのが現状ですので、基数的な解釈は古いだの、無意味だのといってしまうのはおかしいと思います。