国際間の排出量取引についての論文

早稲田大学の有村先生、山形大学の杉野先生と共同で執筆していた国際間の排出量取引についての以下の論文が「Envrionmental and Resource Economics」に掲載されました。

Takeda, Shiro, Arimura, Toshi H. and Sugino, Makoto (2019) "Labor Market Distortions and Welfare-Decreasing International Emissions Trading." Environmental and Resource Economics, DOI: 10.1007/s10640-018-00317-4

オープン・アクセスにしてもらっているので、誰でも読めます(DOIをクリックしてください)。この論文の内容を簡単に紹介したいと思います。

分析の目的

温暖化対策には様々な政策手段がありますが、その中でも「排出量取引」が望ましい政策だと考えられるようになっています。この論文は「国際間の排出量取引(International Emissions Trading、以下IET)の効果を応用一般均衡モデルによるシミュレーションで分析した研究」です。

IETは望ましい政策と言われるのは、以下のようなことを実現すると考えられているからです。

  • 国際間で排出枠を取引することで、世界全体での削減費用を小さくすることができる。
  • 取引に参加する国、全てに利益がもたらされる。

しかし、この議論は排出枠の市場しか考慮していないという問題があります。言い換えると、部分均衡的な分析から導かれた主張です。

排出枠の市場以外の市場、例えば、財の市場、生産要素の市場等も想定し、政策が財や生産要素の市場に与える影響までを考慮した場合、つまり一般均衡モデルで分析した場合には、IETは必ずしも参加国に利益をもたらすとは限らなくなります。これは既に多くの研究によって指摘されていることです。

我々の研究では労動市場に歪みがある状況で、IETが参加国に利益をもたらすかどうかを分析しています。そのために、以下のような4つのモデルで比較をおこなっています。

  • モデル1) 労働市場に歪みがないモデル
  • モデル2) 労動供給が可変で、かつ労動課税が存在するモデル
  • モデル3) 賃金が下がらないモデル(最低賃金が存在するモデル)
  • モデル4) 賃金が下方硬直的なモデル(wage curveモデル)

モデル1では労動供給を外生的に設定し、賃金が伸縮的と仮定しています。モデル2では余暇・労動供給の選択を組込み、かつ労動課税を導入しています。労動課税により、労動供給が過少な水準に抑制されているという歪みが存在します。モデル3と4では賃金に下方硬直性が存在することになるので、その結果(非自発的)失業という歪みが生じます。モデル1とモデル2〜4を比較することで、労動市場の歪みがもたらす効果を分析しています。

分析はCGEモデルによるシミュレーションでおこなっています。モデルにはGTAPデータを基準データにした 8 地域、16部門のグローバル、かつ静学的なCGEモデルを用いています。

分析の主な結果

シミュレーション分析から以下のような結果が出ました。

  1. まず、労動市場に歪みがないモデル(モデル1)ではIETをおこなうことで全ての参加国が利益を得 る
  2. 第二に、労動市場に歪みのあるモデルであっても、排出枠の輸入国になる国はIETに参加することで常に利益を得る
  3. 労動市場に歪みがあるモデルでは、排出枠の輸出国になる国はIETに参加することで損失を得る場合がある。
  4. 特に、最低賃金モデル(モデル3)とWage curveモデル(モデル4)では輸出国がIETへの参加によって損失を被る可能性が高い。
  5. 上の結果はどの国かによっても変わってくる。例えば、ロシアや中国はどちらも排出枠の輸出国になる可能性が高いが、中国がIETから損失を被るケースが多いのに対し、ロシアは損失を被るというケースが非常に少ない。

排出枠の輸出国になる国が損失を被ることになる理由は、ちょっとややこしいので、論文を読んでください。

これまでも様々なケースでIETが必ずしも参加国に利益をもたらすわけではないということは示されていましたが、我々の研究は労動市場に歪みがあるケースでも同様のことが言えるということを明らかにしています。

最初に述べたようにIET(国際間での排出量取引)は参加国に利益をもたらす政策と(少なくとも経済学者には)主張されることが多いのですが、実際にはそう単純ではなく、どのような効果が生じるかを慎重に検討しておこなうべきものだと言えると思います。

CGE分析、特に温暖化対策のCGE分析では非自発的失業を考慮しない、つまり労動市場は常に均衡するという想定で分析をするものがほとんどなのですが、本研究では非自発的失業が存在するモデルも利用しています。CGEモデルとしてもちょっと珍しいモデルを利用しているという点もおもしろいのではないかと個人的には思っています。