TPPの政府試算について

先月(2013年3月)、TPPの効果についての政府による試算が発表されました。ニュースでもとりあげられています。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2103N_R20C13A3PP8000/

TPP「政府試算ナンセンス」 自民部会で異論(日本経済新聞、2013/3/21 21:01)

21日の自民党農林部会などの合同会議で、政府が公表した環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加に伴う経済効果の試算に異論が続出した。関連産業や雇用への影響も考慮すべきだとの意見が多く「政府試算はナンセンスだ」との声も上がった。


http://mainichi.jp/select/news/20130316k0000m010058000c.html

TPP参加:GDP3.2兆円底上げ 政府試算を正式発表(毎日新聞 2013年03月15日 20時19分)

TPP(環太平洋パートナーシップ協定)担当相に就任した甘利明経済再生担当相は、15日夜の記者会見で、日本がTPPに参加した場合、10年後に実質国内総生産(GDP)を年3.2兆円(0.66%)底上げするとの政府統一試算を正式発表した。海外から安い輸入品が増えるため、農林水産物の生産額が現在の約4割に相当する3.0兆円減るが、輸出増加や消費拡大が補うとした。


第5回 日本経済再生本部 配布資料というページにTPPに関する政府試算の結果が公表されています。TPPへの参加のGDPへの効果はGTAPモデルのシミュレーションによって計算されているそうです。そのシミュレーションについて関税撤廃した場合の経済効果についての政府統一試算という文書で簡単な説明がされています。

私はTPPについてはそもそもよく知りませんので、TPPへの参加の是非についてはここでは触れません。ただ、上の文書の内容について少しおかしいなと思うことがあったのでそれを書きます。

上の文書にGTAPモデルについて、次のような説明があります。

(2)TPPの経済全体に与える影響については、WTO等の国際機関や日米欧等の主要国政府において各国の経済連携の効果を試算するために使用されているグローバルスタンダードの分析道具であるGTAPモデルを用いる。GTAPモデルは、信頼性向上のため、国際機関や主要国が集まり継続的に改定が行われている。

この説明は少し不正確というか誤解を生みやすいと思います。問題かなと思うのは

  • 「グローバルスタンダードの分析道具であるGTAPモデル」
  • 「GTAPモデルは、信頼性向上のため、国際機関や主要国が集まり継続的に改定が行われている」
という2つの説明です。

GTAPモデルはグローバルスタンダードな分析道具か?

単に利用者数が多いことをグローバルスタンダードの条件とすれば、文句なくGTAPモデルはグローバルスタンダードと言ってよいと思います。ただし、GTAPモデルの利用者が多いのは、他のモデルと比べて優れたモデルであるからだとか、他のモデルと比較し、より正確に経済的影響を分析できるからというのではなく、使いやすい、簡単に使えるからという理由が大きいと思います。つまり、モデルとして優れているからというわけで使われているわけではないと思います。

実際、GTAPモデルはソフトウェアさえ購入すれば、GTAPモデルがどんな構造のモデルかよくわかっていなくてもシミュレーションができてしまいます。ややこしいことなど考える必要なしに、お金さえだせばシミュレーションができるとなれば、利用者が増えるのも当たり前だと思います。グローバルスタンダードというとモデルとして他のモデルよりも優れているという印象を持つ人が多いと思いますが、利用者が多いということが、必ずしも分析道具としての質の高さを表しているわけではないことに注意するべきだと思います。

GTAPモデルは継続的に改定されている?

これは何を持ってGTAPモデルと呼ぶのかにも依存する話ですが、GTAP Models: Current GTAP Modelというページで説明されているモデル、つまりごく普通のGTAPモデルのことを指すのなら、GTAPモデルは10年前から何も変わっていないです。このページの下の部分に

Current version: GTAP.TAB Version 6.2. This latest version was released in November 2003.
という説明があります。最新のGTAPモデル(のコード)は2003年11月にリリースされたものです。10年前のものが最新版ということです。変っていないことが悪いというわけではないですが、「継続的に改訂されている」とは当然言えないと思います。

ただし、GTAP(Global Trade Analysis Project)が2003年以降、全く新しいモデルを提供していないということではないです。動学モデル、温暖化対策分析用のモデル(GTAP-E)、労働移動(移民)分析のためのモデル(GMig2)等、様々なモデルを提供しています。しかし、これらのモデルはGTAPモデルとは違う名前が付けられていますし、単純にGTAPモデルと言ったら上の2003年のモデルを指すと思います。また、政府試算をおこなっているのも2003年の普通のGTAPモデルのはずです。

以上は、GTAPモデルが文字通りモデルのことだけを指すとしたらという話です。CGE分析をおこなうにはモデルだけではなく、ベンチマークデータが必要になります。GTAPはモデルだけではなく、CGE分析用のデータセットも提供しています。それはGTAPデータ(ベース)と呼ばれます。このGTAPデータは文字通り「国際機関や主要国が集まり継続的に改定が行われて」います。データのことを含めてGTAPモデルと呼んでいるのなら、GTAPモデルが継続的に改定されている説明も間違いではないと思います。ただし、私は「GTAPモデル」と「GTAPデータ」の二つの言葉は分けて使うようにするべきだと思います。つまり、「GTAPモデル」はあくまでモデルを呼ぶための用語で、データは「GTAPデータ」と呼ぶべきだと思います。

なぜかというと、GTAPデータは使うが、GTAPモデルは使わないという形の分析をする人がたくさんいるからです。特に、温暖化対策のCGE分析をする人でこのような方法をとる人が多いです。例えば、

  • MITのEPPAモデル
  • OECDのENV-Linkagesモデル
  • World BankのENVISAGEモデル
  • U.S. EPAのADAGEモデル
  • ZEWのPACEモデル
  • EU委員会が利用するGEM-E3モデル

のどれもベンチマークデータとしては、GTAPデータを利用しています。温暖化対策分析の多地域CGEモデルのほとんど全てがベンチマークデータにGTAPデータを利用していると言ってもいいと思います。しかし、これらのモデルのどれもGTAPモデルとは違うモデルです。これは当たり前で、GTAPモデルは貿易政策用で、温暖化対策の分析には向いていないからです。私も温暖化対策の分析をする際に、GTAPデータをよく利用しますが、モデルは独自のモデルを利用しています。

ちょっと話がずれましたが、政府試算に利用しているモデルをGTAPモデルと言うのなら、それは2003年に作成されたモデルで、それ以来変わっていないということです。

この試算がTPP参加の根拠の一つとして利用されているわけですから、本当ならこの試算についてもっと議論があってもよいと思います。特に、経済学を専門にしている人が(TPPに対する賛否は別として)解説なりを提供してくれればいいのですが、やってくれる人あまりいないですね。時間に余裕があれば私も貿易政策の分析もやりたいのですが、今は温暖化対策の分析の方で手一杯なので余裕がありません。