生涯効用の計算(つづき)

前の記事「生涯効用の計算」で書いたように、林貴志先生の『ミクロ経済学(増補版)』(以下、林テキスト)で、生涯効用や期待効用についての、序数性、基数性の問題が扱われています。効用の序数性、基数性についてこの教科書ほど深く扱っているものはないと思うので、今回、この本の考え方について書きたいと思います。

前回の繰り返しですが、生涯効用 u は、瞬時的効用 v_{t} の加重和として以下のように計算されます。


\displaystyle
A式: \hspace{1em} u = \sum_{t=0}^{\infty} \alpha_t v_t

私自身は、前回書いたように、生涯効用を計算するときの瞬時的効用(v_{t})が基数的な意味を持っていて、それの加重和として生涯効用 u が計算されるのに、生涯効用が序数的な意味しか持たないというのはちょっとおかしいのではと思っています。

これに対して、林テキストでは次のように説明しています。まず、p.49で

効用表現はあくまで選好順序の表現としてのみ意味を持つのであって、なんら量的な意味は持たない.これを効用表現の序数性という.

と効用は序数的なものと説明してます。そして、p.131 で生涯効用を


\displaystyle
u(x) = f(v(x_1) + \beta v(x_2))

のように表現したうえで(\beta は割引因子)、p.132 で以下のような説明をしています。

vが基数的であっても、uはいくらでも頭に単調変換fをかませられるから序数的なのである。関数vを「期間効用関数」あるいは単に「効用関数」と呼んでいる教科書が多いが、上記の違いゆえに、vを「効用」と呼ぶのは誤解を招く。だから本書では期間間代替関数という珍妙なネーミングを使わせてもらう.

以上の説明を簡単にまとめると、

  • 「効用」というものは序数的な意味しか持たないもの。
  • v(x) は基数的な性質を持つ。
  • 効用は序数的なものなのだから、基数的な意味を持つ v(x) はそもそも「効用」を表しているのではなく、よって「効用関数」と呼ぶのは適切ではない。
  • 代わりに「期間間代替関数」と呼ぶ。

となります。まず前提として「効用 = 序数的なもの」とする。だから「基数的なものは効用ではない」。そして、v(x) は基数的な性質を持つものであるから効用ではないと説明しています(そして、効用ではないものを効用と呼ぶのは不適なので他の呼び方をすると)。

確かに、「効用は序数的なもの」という考え方を採用し、それと整合性を保つように考えるのなら「v は効用ではない」ということなってもおかしくはないというか、むしろそう考えるのが自然かもしれません。その意味で、林先生の考え方は首尾一貫した、整合性のあるものだと思います。

ただ、説明で一箇所おかしいというか、不正確かなと思うところがあります。説明では『関数 v を「期間効用関数」あるいは単に「効用関数」と呼んでいる教科書が多い』と書かかれています。これはちょっと実情と違うのではないかと思います。というのは、実際には「多い」どころか、「ほとんど全ての教科書」だと思うからです。

例えば、世界中でよく使われていると思われる以下の教科書では v を「効用(関数)」と呼んでいます。

  • David Romer の Advanced Macroeconomics ⇒ Instantaneous utility function
  • Blanchard and Fischer の Lectures on Macroeconomics ⇒ Instantaneous utility function
  • George McCandless の The ABCs of RBCs: An Introduction to Dynamic Macroeconomic Models ⇒ Subutility function
  • Maurice Obstfeld and Kenneth Rogoff の Foundations of International Macroeconomics ⇒ Period utility function

前回挙げた Barro and Sala-i-Martin のように効用関数ではなく「felicity function」と呼ぶ教科書もかなりあります。ただ、その場合には felicity function を各時点での「効用水準」を表す関数と説明しているものがほとんどだと思います。

正確なデータを持っているわけではないのであくまで私の推測にすぎませんが(そもそも経済学の教科書・文献で v を何て呼んでいるかを包括的に調べている人なんていないと思いますが)、これらの世界中で標準的に利用されている教科書で「効用」と書いているのですから、世界中のほとんどの人が v を効用と呼んでいるのが現状ではないでしょうか。実際、私は「v は基数的なので、効用と呼ぶのは不適切。だから、別の名前で呼ぶ」という教科書(あるいは人)をこの林テキスト以外に見たことがないです。

ですので、実際には「関数 v を効用関数と呼んでいる教科書が多い」ではなく、「関数 v を効用関数と呼んでいる教科書がほとんど」だと思います。私の印象では 99.9% くらいいくんじゃないかと思います。

ただ、それが正しいか正しくないかはまた違う話で、多数がそう呼んでいるからといって、それが正しいわけではないと思います。上で書いたように、理論的な整合性を重視する(効用はあくまで序数的な意味しかもたないということを貫く)のでしたら、v を効用と呼ばないことがむしろ当然の帰結かもしれません。

現実にはそこまで理論的な整合性にこだわる人はほとんどいなくて、大多数の人は場当たり的に適当な使い方をしているということだと思います。経済学は理論にうるさい人が結構多いと思いますが、この点についてはかなり適当に考えている人が多いのではないでしょうか。

ただ、ほとんどの人が効用と呼んですませているものを、「効用と呼ぶのは不適切だから、別の呼び方をする」というのは、なんというかすごく理論的な整合性に対するこだわりが強いですね。ここまでこだわる人はあまりいないと思います。

私自身は、上で書いたように

  • 他の多くの人も v は効用と考えているんだから、v は基数的な意味を持つ効用と考えるのがいいのでは。
  • v が基数的なのだから、それの加重和である u (生涯効用)も基数的に考えていいのでは。

という考え方です。ただ、前回書いたように v(c) の特定化によっては u がマイナスの値になってしまって、序数的にしか考えられないケースがあるのですが。

理論的な整合性にもある程度はこだわらないといけないと思いますし、一応私も一般均衡モデルでシミュレーションをしている人間なので、経済学者の平均と比べると理論的な部分にこだわっていると言ってもいいと思いますが、同時に、私はその一般均衡モデルを使って日本の経済のシミューレション分析をするというような荒っぽいことをしているので、今さらそんな細かいことにこだわっても...とも思っています。日本経済の消費を一つの代表的家計の最適化行動によって表現するというようなかなり荒っぽい仮定で分析しているのに、今さら細かい理論的な整合性を考えてもなあ...ということです。

まあ、普通の人・普通の経済学者からすると「どっちでもいい」ことかもしれませんが。

基本的には林テキストの説明は(すごく独特な考え方だとは思いますが)納得できます。ただ一つ違和感があるところがあります。

v を効用と呼ばないのなら、そもそも「期待効用」という呼び方はおかしいんじゃないかということです。元々、「期待効用」は効用(v)の期待値をとったものだから期待効用と呼ばれるのではないでしょうか?だとすると、v が効用でなければ、効用ではない何か(○○)の期待値ということになるので、期待効用ではなく、別の呼び方、例えば「期待○○」になるのが自然だと思います。効用じゃないものの期待値を期待効用と呼ぶのっておかしいような気が...