私の研究の専門は"computable general equilibrium analysis"という分野です。略してCGE analysisになります。これを日本語ではよく「応用一般均衡分析」と呼びます。しかし、"computable general equilibrium analysis"の正確な日本語訳は「計算可能な一般均衡分析」です。そして、本来、「応用一般均衡分析」というのは英語の"applied general equilibrium analysis"の訳です。
つまり、本来の正確な用語の対応関係は次のようになっています。
- Computable general equilibrium analysis ←→ 計算可能な一般均衡分析
- Applied general equilibrium analysis ←→ 応用一般均衡分析
それが実際には「CGE analysis = 応用一般均衡分析」というような用語の使われ方がされるということです。私もよくそういう使い方をしています。なぜこのような(ある意味不正確な)用語の使われかたがされているのかを今回説明したいと思います。
といっても、私も正確な理由・経緯をちゃんと把握しているわけではなく、おそらくこういう理由・経緯でこうなったのではないかという程度の推測にすぎません。間違っているかもしれません。
CGE analysisとAGE analysis
まず、元の英語の"CGE analysis"と"AGE analysis"ですが、これが同じ概念を指しているのなら、(日本語訳としては少し変ですが)意味としては「CGE analysis=応用一般均衡分析」がそのまま成り立つことになります。実際のところどうかというと、少なくとも昔は違う意味で利用されていたようです。
このためか、Wikipediaの"Applied general equilibrium"のページでもAGE analysisとCGE analysisは区別されています。
Applied general equilibrium - Wikipedia
私もあまりわかっているわけではないのですが、二つは次のような違いがあるようです。
AGE analysis
こちらは元々は抽象的なモデルから始まった一般均衡モデル(特にArrow-Debreuモデル)を数値的に解くことを目指すことから始まったようです。一般均衡解となる均衡価格を実際に数値的に求めるにはどうすればよいのかという問題意識から始まり、まずHerbert Scarfがそのためのアルゴリズム(Scarf algorism)を考案し、その後、それが改良されていくというような流れです。
CGE analysis
こちらは産業連関分析を一般均衡モデルに拡張していく流れで、Leif Johansenから始まっているようです。まず産業連関表というデータとそれに基づくシミュレーション分析である産業連関分析があり、それを一般均衡モデルによるシミュレーションに拡張していく流れです。具体的には産業連関分析では外生的に扱われていたり、考慮されていない最終財への需要、最終財市場、生産要素市場、及びその他の金銭的なフローを内生的に扱うようなモデルへの拡張です。生産関数における投入物間の代替の考慮もそれに含まれます。
こちらのアプローチでは、分析は
- 基準データにおいて経済が均衡していると仮定。それを基準均衡という。
- 基準均衡に何らかのショック(政策の変化などの外生的なショック)が与えられたときに、均衡がどう変化するかを分析する。
という手順に従っておこなわれます。
AGE analysisでは均衡解は未知のものですが、こちらの場合は、基準データの状態で経済が均衡状態にあるという前提をおくので、基準均衡は事前にわかっています。その基準均衡の状態がショックによってどう変わるかを分析するという形です。つまり、完全に未知の均衡解を求めるというのではなく、既にわかっている解がショックによってどう変化するかを計算するということです。
Shoven and Whally
以上のように元々は違う概念、アプローチをそれぞれ指していたようです。しかし、(その経緯はよくわからないですが)80年代くらいにはどちらもほぼ同じようなものになったようです。正確に言うと、AGE analysisの指すものが結局CGE analysisと同じようなものになったようです。
というのは、70年代、80年代におけるAGE analysisの代表的な研究者であるJohn ShovenとJohn Whalleyの二人がAGE analysisと呼んでいる分析が現在CGE analysisと呼ばれているものとほとんど同じだからです。
Shoven and Whallyの研究については
Shoven, B. J. and Whally, J. (1992), Applying General Equilibirum, Cambridge Surveys of Economic Literature, Cambridge University Press.
にまとめられています。
このように、AGE analysisとCGE analysisは結局同じようなものを表すようになったようです。そして、なぜかはわかりませんが、その後、海外ではAGE analysisではなく、CGE analysisという用語が定着したようです。現在ではAGE analysisという用語を使う人はほとんどいないと思います。
日本では
一方、日本ではCGE analysisが指すアプローチを「応用一般均衡分析」と呼ぶことが多いです。日本でこの用語が使われるようになった理由は二つあると思います。
一つ目の理由は、日本でCGE analysisが指すようなアプローチが知られるようになった際に、上で挙げたShoven and Whallyによる書籍"Applying General Equilibirum"の翻訳書である
ジョン・B・ショウヴン, ジョン・ウォーリ(1993)『応用一般均衡分析 : 理論と実際』,小平裕訳,東洋経済新報社
や、Shoven and Whallyと同じ分析手法で日本経済を分析した研究をまとめた
市岡修(1991)『応用一般均衡分析』,有斐閣
という書籍の影響が大きかったからだと思います。この二冊の書籍がどちらも「応用一般均衡分析」という用語を利用しているので、CGE analysisのような分析を応用一般均衡分析と呼ぶことが多くなったのではないかと思います。
またそれに加え、私はCGE analysisの直訳の「計算可能な一般均衡分析」という用語が、「応用一般均衡分析」という用語と比較して、あまりスマート(?)な用語ではないということも大きいのではないかと思います。
これは単に私個人の感覚ですが、「計算可能な」は日本語としてもあまりなじみがないですし、言葉としていかにも直訳っぽく、スマートな言い方じゃない気がします。一方、「応用」という言い方はよく使いますし、「一般均衡モデルを現実の経済の分析に応用している」というCGEモデルの特徴も示唆してくれますので、自然な用語に感じます。仮にCGEとAGEが全く意味が違うというのなら、CGEの訳語に「応用一般均衡」を使うのはさすがに不適切ですが、どうせ似たような意味ということで、多くの人が「応用」という用語を使いたがったのではないかと推測してます。
結局、話をまとめると、
- 正確な用語の使い方ということで言えば、"CGE analysis"は日本語では「計算可能な一般均衡分析」と呼ぶべき。
- しかし、AGE = CGEといってもいいので、意味としては「応用一般均衡分析」と呼んでも間違いではない。
- 日本では、最初に「応用一般均衡分析」という用語が定着したのと、「計算可能な」より「応用」という用語の方が好まれるので、日本語では「応用一般均衡分析」を使う人が多くなった。
ということではないかと思います。
まあ、間違ってるかもしれませんが。