逆S字型総費用関数

ミクロ経済学のテキストに「逆S字型総費用曲線」というものがよく出てきます。

Cost curve - Wikipedia

上のページの真中あたりの画像に描かれているTCという曲線のことで、生産量が増えるにつれ最初は傾きがだんだん緩やかになるが、途中から傾きが急になっていくタイプの総費用曲線のことです。ミクロ経済学の入門者用の教科書によく出てくるので、経済学を勉強したことのある人なら見覚えがある人が多いと思います。例えば、以下のテキストに出てきます。

これ以外の多くのミクロ経済学の入門書にも出てくると思います。もちろん、「総費用曲線=逆S字型総費用曲線」ということではないのですが、多くのテキストにおいて総費用曲線の形状の代表例のような形で出てくることが多いと思います。

この逆S字型総費用曲線を前提とし、さらに固定費用の存在も仮定すると、「損益分岐点」と「操業停止点」というものを定義できます。ですので、逆S字型総費用曲線が出てくるテキストでは、そのあとにたいてい損益分岐点と操業停止点の話につながります。

私は、この「逆S字型総費用曲線」がどうしてミクロ経済学の入門書で取り上げられるのかずっと疑問を持っていました。言い換えれば、これは入門書で取り上げる必要性がほとんどないのではないかと思っています。理由は二つあります。

まず、この逆S字型総費用曲線は、その後で勉強する経済学の応用分野でほとんど使わないからです。応用分野というのは、例えば、金融論、国際経済学、労動経済学、環境経済学、産業組織論などです。大学の経済学部のよくあるパターンでは、1年生、2年生のときにミクロ経済学の入門の勉強をして、その後、これらの応用分野の授業を受けるということが多いと思います。逆S字型総費用曲線(とそれから導かれる損益分岐点、操業停止点、供給曲線など)がこれらの応用分野の授業でよく出てくる、よく利用されるのなら、入門の授業で取り上げり意義は非常に大きいと思いますが、実際には全くと言っていいほど出てこないと思います(少なくとも私は見たことがないです)。

例えば、私の専門である環境経済学ミクロ経済学の応用分野ですので、ミクロ経済学で出てくる多くの概念を利用します。しかし、逆S字型総費用曲線、あるいはそこから導かれる損益分岐点、操業停止点、供給曲線を使うことは全くありません。

つまり、「逆S字型総費用曲線」は経済学部の入門の授業で扱うにもかかわらず、その後に学ぶ授業ではほとんど(あるいは、全く?)使われないということです。

後の授業でよく使うことになる重要な概念を入門書で取り上げるのなら、むしろ望ましいことだと思いますが、なぜその後に全く使わないような概念をわざわざ入門書の内容としてとりあげるのかがよくわからないというのが第一の理由です。

第二の理由は、この逆S字型総費用曲線が経済学の研究に使われているのをほとんど見たことがないからです。仮にその後の経済学の授業で出てこないとしても、それがちゃんと研究で使われているのなら、とりあげておくことに価値はあるかもしれませんが、理論的な研究でも実証研究でも、この逆S字型総費用曲線を利用している研究はほとんどなのではないでしょうか。費用曲線(費用関数)自体は多くの研究で使われると思いますが、その多くは1次関数や2次関数であって、逆S字型が前提とするような3次関数を利用していることを、私は見たことがないです(私が知らないだけで、実は結構あるのでしょうか?)

普通に考えれば、研究で使わないということは、それが現実の経済を分析する概念・ツールとして役に立たないということだと思います。なぜそんな概念をわざわざミクロ経済学を最初に学ぶ段階で出してくるのかがわかりません。

このように、「逆S字型総費用曲線」は

  • ミクロ経済学の応用分野では全く出てこない
  • 研究でもほとんど利用されていない

のが現状だと思います。それにもかかわらず、ミクロ経済学の初学者が利用する入門書で扱われていて、実際、入門用の授業で勉強することが多いと思います。

逆S字型総費用曲線+固定費用を仮定すると、操業停止点が出てきて供給曲線がジャンプする(不連続になる)など議論が小難しくなります。利用する概念であれば小難しくても学生に勉強させる意味はあるでしょうが、どうせ使わないのならもっと簡単なケース(2次関数の総費用曲線で固定費用なし)ですませてしまえばいいんじゃないかとずっと思っています。