経済学の論文における著者名の順番について(その2)

shiro-takeda.hateblo.jp

一つ前の↑のブログ記事で、「経済学の論文における著者名の順番はアルファベット順が普通 or 慣行」という主張がX上で数多く見られることに対して、それは不正確ではないかということを書きました。

その際に紹介したいくつかのXのポストは、経済学者の成田悠輔氏に関連したものでした。元々は、成田氏を批判している人々が「成田氏は筆頭著者になっている論文がない。これは、研究において重要な貢献をしているものがないということなので、論文を発表しているとはいえ、大した研究業績や研究能力はない」と言ったことに対し、経済学者(や経済学の事情に詳しい人たち)が、「経済学では著者名の順番はアルファベット順にするのが慣行であり、筆頭著者でないことが重要な役割を果たしていないことを意味するわけではない」と反論したということのようです。

私の前回のブログ記事では、反論中の「経済学では著者名はアルファベット順が普通(または慣行)」という主張が不正確ではという話をしました。つまり、成田氏を擁護する反論の中にやや不正確な根拠が含まれているのではということなのですが、成田氏が共著者と執筆したEconometricaに揭載された論文の著者名の順序は、明らかにアルファベット順ですから、「成田氏は筆頭著者ではないから、研究業績が乏しい」という当初の批判が的外れであるという点については、私も同意見です。

私もそうですが、多くの経済学者は「成田氏がEconometricaに論文を掲載している」ということから、非常に優れた研究業績を持つ人物とみなすのではないかと思います。というのも、Econometrica は経済学におけるトップジャーナルの一つで、それに論文を載せるのは非常に難しいですから。

ただ、改めてよく考えてみると、複数の著者による論文の場合、たとえ Econometrica に掲載されたとしても、その人の研究能力が高いと単純に評価することはできないとも思います。なぜなら、その研究におけるその人の貢献度がどのくらいか、正確なことがわからないので...

Econometricaに論文を揭載していて、かつその論文におけるその人の貢献度が高いのであれば、高い研究能力を持っていると評価できるでしょうが、仮にその人が補助的な役割しかしておらず、貢献度が非常に低いのであれば、その人の研究能力が高いと判断するのは難しいと思います。

仮に著者名が貢献度順に並んでおり、成田氏が筆頭著者になっているのであれば、研究における貢献が大きいと判断しやくなります。しかし、アルファベット順で並んでいる限り、貢献度の実情を外部から判断するのは困難です

ですので、「筆頭著者の論文がないから、たいした研究業績・研究能力がない」という批判は的外れですが、かといって「Econometricaに論文を揭載しているから優秀な研究者」とも言えないと思います。

これは別に成田氏に限った話ではなく、共著論文の著者の能力を評価する際に一般的に生じる問題だと思います。つまり、共著論文における個々の著者の貢献度が明確でない場合、その論文が著名なジャーナルに掲載されていたとしても、その研究者の能力を正確に判断するのは難しいということです。これはよくある話ですよね。

最近は経済学でも共同研究が当たり前になってきて、単著の論文が少なくなってきているので、判断に迷うようなケースが増えてきたと思います。特に、昔(少なくとも私が大学院生だった90年代後半~2000年代前半)は大学院生が指導教員と一緒に論文を書くというようなことはあまりなかったのですが、最近では大学院生と指導教員の共同論文が増えているようですので、大学院生の研究能力を評価するのがちょっとややこしくなってきているように思います(経済学でも共同研究が増えること自体はむしろいいことだと思いますし、大学院生のレベルも昔よりもずっと上がっていると思いますが)。


ちなみに私自身も、これまでに何本か共著論文を書いてきましたが、その中には自分の貢献度が10%にも満たないようなものもあります。他の人はどうかわかりませんが、私と同じようなケースが多ければ、複数の著者で書かれた論文における個々の著者の評価は難しいと思います。